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悲報 [雑感]

 コロナウィルスが5月8日に第五類へ移行したけれど、だからといってコロナウィルスが撲滅された訳では無いし、罹患しても軽傷で済むという保証も無い。しかも、罹患した1割が後遺症に苦しんでいるというから、かからないに越した事は無い。拙者は老齢の母を抱えているから、万が一拙者が罹患して母にうつしてしまったらそれこそ取り返しのつかない事態に成り兼ねない。
 だから、NEC退職者懇談会(以下、懇談会)は2017年9月の開催以降ずーっとを見送っていた。
 前回開催の数か月後、一度オンラインでの開催を提案した事があったのだけれど、当時は今ほどにはソフトやネットも含めて環境が整っておらず、結局立ち消えとなってしまった。

 一方、コロナウィルスで長期に亘る自粛期間のお陰で、現在ではオンライン・ミーティングが気軽にできる環境が整ってきている。カメラ付きのノートパソコンか、或いは一寸したWEBカメラを付けたデスクトップパソコンがあれば、誰でもオンラインで雑談できる環境が整ってきているのである。
 そんな事もあって、懇談会のメンバーに改めてメールで連絡を入れた。

 数日後、メンバーから「M君だけメールがエラーになる」と連絡が入った。「へ?こっちはエラーにならんかったけれど??」ところが、よくよく調べてみたらエラーを知らせるメールが自動的にメールソフトのゴミ箱に入っていた。だから気が付かなかったのだ。
 エラーの具体的な内容は「smtp; 550 Invalid recipient」、一言で言えば「そんな受信者居らへんでぇ」と。M君の携帯電話に電話すると「その番号は現在使われておりません」という自動アナウンスが流れる。自宅の固定電話の電話番号は、普段使わないのでどこにも残っていない。だから、連絡手段が無い。

 かなり慌ててgoogle mapで彼の自宅を見た。
 一応建物は存在するけれど、一階も二階もシャッターがピッタリと閉じられていて、どう見ても人が住んでいるようには見えない。「あれぇ?どっかへ引っ越したんかなー??...でも、引っ越したんなら連絡をくれると思うんだけど???」この時点で何とも言えず嫌な予感が頭を過ぎった。「まさかとは思うが...。」

 二日後、「あ!そういえば、バックアップのUSBメモリに電話帳があった筈」と思い出し、USBメモリを探し出してPCで見る。すると、自宅の電話番号が入っていた。「あぁ、良かったー。これで連絡が付くわ。」
 早速電話したら、留守番電話のアナウンスが流れる。12日、「メールが届かないので、連絡下さい」とメッセージを入れておいた。

 12日20時ピッタリに、拙者の携帯電話が鳴る。「(。´・ω・)ん?こんな時間に誰だろう?」と思いながら電話に出た。電話の主はM君の妹さん。
 曰く「昨年12月心臓発作による突然死で亡くなりました。」続けて「(直近に)メールや電話のやり取りがあった方々には連絡したのですが、それ以外の方々には連絡を入れる事をしておりませんでした。誠に申し訳ありません」と。因みに、M君の親父さんも、定年目前で勤務中に心臓発作で倒れ、そのまま亡くなっている。
 「嗚呼...。(絶句)」これで、謎が解けた。

 拙者は普段あまり夢を見る事が無く、見たとしても荒唐無稽な内容か、トイレ探しで大騒ぎしているなんてものが殆ど。
 どんな夢にしても、知っている人物が登場する事はまず無い。いつも見ず知らずの人ばかりで、日本人以外の人種が登場する事も多いけれど、何故か必ず日本語で話している。ちなみに、トイレ探しの夢は、その後必ず目が覚めてトイレに行ってスッキリ!で御終いになる。
 ところが、昨年12月に見た夢では珍しくM君が登場したのだ。いつも会う時の様に、ニコニコした顔が脳裏に焼き付いている。今となっては夢の内容は覚えていないのだけれど、朝起きた時に「どうしてM君が夢に出て来たんだろう?不思議だなぁ...。」以来ずーっと疑問に感じていたのだ。
 今から思えば、お別れの為にわざわざ会いに来てくれたのだと思う。それに気が付かなかったのが、今になっては「後悔」なんて言葉だけでは到底表現し切れない程に激しく悔やまれる。どれだけ悔やんでも、悔やんでも、悔み切れない。

 M君はNECに入社した時からの友人で、以来付き合いは35年になる。仕事上では一度も一緒になった事はないけれど、同じ課内だった時期も5年ほどあり、仕事上でもプライベートでも最も近い距離で、何でも話し合える親友の一人。イギリス英語でいう「One of my friend」だった。
 だから、妹さんから「亡くなりました」と言われても、頭では理解している積りでも実感が湧かず、「あっ...そうでしたか。」という事務的な対応になってしまった。

 ところが、丸一日過ぎた頃からじわじわと身に染みて彼の死を感じるようになってきた。何かに集中していれば良いのだけれど、ふと手が停まったりすると彼のいつもの笑顔が浮かんできて涙ぐんでしまう。「いつまでも悲しんでいたら、彼はきっと嬉しくないだろう」とは思うのだが、どうしても涙が止まらない。

 この悲しみから這い上がるまでにはまだまだ時間が掛かりそう...せめて、彼が生きられなかった分を拙者達が取り戻してやろうと思う。
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tama

きょうは鹿児島へ、同級生の通夜に行きます。
6月に面会に行ったとき、彼の奥さんから「もう長くない」と知らされました。あれからやがて1ヵ月。届いたのは訃報でした。
去年の暮れに十二指腸ガンが見つかり、正月元旦に入院。その後、悪性リンパ腫も見つかってさまざまな抗がん剤治療を続けたそうですが、一切効果がなかったそうです。
6月の見舞は同級生3人で行きました。病室で3時間も話しました。彼は体重が20キロも減っていましたが、血液を全部入れ替える手術に一縷の希望を抱いていました。でもその手術を受ける体力が戻らなかったようです。
不思議と涙は出ませんでした。ただ、時々頭の中がボーッとなります。一緒だったのは中学の3年間だけですが、その後もずっと家族ぐるみの付き合いが続いていました。
もう思い出の中でしか会うことができないと思うと、親友との別れは悲しいですね。
by tama (2023-07-15 12:11) 

Rifle

tamaさん
同年齢かそれに近い年齢で亡くなってしまうと、本当に辛いです。
記憶の中でしか会えないと思うと、余計に...。
by Rifle (2023-07-15 12:30) 

Take-Zee

こんにちは!
3週間前。 高校時代の友人を訪ねました・・・
化学物質過敏症から脳梗塞になってすっかり
変わってしまいました・・・そういう年になったなあと
思いました (*-*)!

by Take-Zee (2023-07-15 14:21) 

Rifle

Take-Zeeさん
病を得ると変わってしまう人は多いです。
拙者も気を付けねば。
by Rifle (2023-07-15 18:41) 

いっぷく

私の高校の同級生も還暦になったばかりで、コロナでなくなりました。
マックの時給1000円のバイトで感染したようです。
それは不運ではあったのですが、彼は以前から武田邦彦さんにハマっていて、
動画をシェアした上で、「コロナは風邪だ」とフェイスブックにいつも投稿。
東京で小池知事がなにか対策すると批判していました。
ちょっとコロナを舐めていたのではないかなと言う気がします。
私はその1年後にかかりましたが、おかげさまで熱も上がらず自宅療養で済み、
2022年9月まで保険会社はコロナで保険金を支払ってましたが、
ギリギリ間に合って保険金もいただき、食料もいただきました。
by いっぷく (2023-07-17 03:10) 

Rifle

いっぷくさん
流行当初はコロナウィルスを軽視する人は案外多かったようと思います。
でも、それで亡くなってしまったのは何だかうーん...ですね。
我が家は感染経験が未だにゼロ、高齢の母と外出が多い子供だけ3回ワクチン接種を受けていますが、二人以外は接種後の副反応が酷かった為3回目以降は接種していないです。
再び感染が広まっているみたいなので、人混みを避けたり場所によってマスクをしたりと、注意して過ごしています。
by Rifle (2023-07-17 11:28) 

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