避暑で信州へ(その3) [雑感]
(前回からの続き)
夜明け頃に鳥の鳴き声で目が覚めたがそのまま寝てしまい、朝8時過ぎに目を覚ます。布団から抜け出して顔を洗ってサッパリする。
前日お願いしてあった通り、9時に朝食となる。
アフターはヨーグルト。
食べて一休みしたら、妻と二人で踊場湿原を歩いて回る事に。
11時少し前に宿を出て歩き始める。北側の入り口から眺めると、こんな感じ。
少し歩いたところにアザミが咲いていた。
20年ほど前なら今の時期はニッコウキスゲが一面に咲いていたのだけれど、近年の鹿生息数激増で全部食べられてしまい、現在では電気柵で囲われた範囲でしか見られない状態にまで追い込まれてしまっている。
これだけ被害が出ているのに、自然保護団体は未だに鹿の処分に反対しているとかで、今後も昔の姿に戻る事はなさそうだ。
# 残念無念。
入り口から少し入った所に看板がある。
歩いてしばらくは背の高い草に阻まれてなかなか見渡せる場所が無い。
あちこちで立ち止まり、草の合間から撮影する。
足元を見ると色んな花が咲いている。
一般的な森林限界からすれば、この辺の標高(1400mほど)なら木が多く生えていてもおかしくない筈なんだけれど、何故か木々は少ない。
昭和30年代に放棄されるまで牧草地として使われていたからなのかも知れないなぁ。
20分ほど歩くと、水面が見えてきて木も増えてくる。
小川のある所が遊歩道の一番奥。ここからは南側を歩いて戻る事になる。
ちなみに、この川は秋になると枯れて水は無くなる。
ここからは上りが多くなるので、見下ろす事が多い。
木の下に怪しげなキノコが出ていた。
見えている木々の向こう(南側)は別荘地だ。
上りながら撮影を続ける。
再び下りになり、下り切ると先ほどの小川の下流に出る。
川を渡ると、また上りとなる。
上り切った所に、実を付ける木があった。
近くに花も咲いていた。
ここから先は背の高い草に囲まれた歩道をただ歩くだけとなって、見渡せる場所も無い。だから、この湿原を歩くのなら、南側からではなくて北側から入るのがお勧めだ。
南側の口から歩いて直ぐの場所に砂利の一寸した駐車場があり、そこに大きな看板が立っている。
ここから見える風景もなかなか良い。
歩いて数分でカルペデイムに戻る。
戻ったら直ぐに昼食を戴く。実は、事前にお昼ご飯もお願いしてあったのだ。
食べ終わったら、子供は湿原へ撮影に出かけた。母は棚にあった小説を読み、我々夫婦はデッキに出て湿原を眺めて過ごす。
何もせず、ただ湿原をぼーっと眺めているだけ。
何とも贅沢な時間である。
夕方になったらお風呂に入り、再び湿原を眺めてのんびり過ごす。子供も湿原散歩から帰って来た。
しばらくしたら、お待ちかねの夕食となる。子供はフルセット、
拙者も妻も母も一品減らして貰う。
アフターはムース(?)だ。
食べ終わってしばらくしたら、恒例のおしゃべりタイムに突入する。
雑談していたら日付が変わってしまったので、歯を磨いて寝る。今日も布団をかけないと寒い。やっぱり高原は涼しいねぇ...zzz。
(続く)
夜明け頃に鳥の鳴き声で目が覚めたがそのまま寝てしまい、朝8時過ぎに目を覚ます。布団から抜け出して顔を洗ってサッパリする。
前日お願いしてあった通り、9時に朝食となる。
アフターはヨーグルト。
食べて一休みしたら、妻と二人で踊場湿原を歩いて回る事に。
11時少し前に宿を出て歩き始める。北側の入り口から眺めると、こんな感じ。
少し歩いたところにアザミが咲いていた。
20年ほど前なら今の時期はニッコウキスゲが一面に咲いていたのだけれど、近年の鹿生息数激増で全部食べられてしまい、現在では電気柵で囲われた範囲でしか見られない状態にまで追い込まれてしまっている。
これだけ被害が出ているのに、自然保護団体は未だに鹿の処分に反対しているとかで、今後も昔の姿に戻る事はなさそうだ。
# 残念無念。
入り口から少し入った所に看板がある。
歩いてしばらくは背の高い草に阻まれてなかなか見渡せる場所が無い。
あちこちで立ち止まり、草の合間から撮影する。
足元を見ると色んな花が咲いている。
一般的な森林限界からすれば、この辺の標高(1400mほど)なら木が多く生えていてもおかしくない筈なんだけれど、何故か木々は少ない。
昭和30年代に放棄されるまで牧草地として使われていたからなのかも知れないなぁ。
20分ほど歩くと、水面が見えてきて木も増えてくる。
小川のある所が遊歩道の一番奥。ここからは南側を歩いて戻る事になる。
ちなみに、この川は秋になると枯れて水は無くなる。
ここからは上りが多くなるので、見下ろす事が多い。
木の下に怪しげなキノコが出ていた。
見えている木々の向こう(南側)は別荘地だ。
上りながら撮影を続ける。
再び下りになり、下り切ると先ほどの小川の下流に出る。
川を渡ると、また上りとなる。
上り切った所に、実を付ける木があった。
近くに花も咲いていた。
ここから先は背の高い草に囲まれた歩道をただ歩くだけとなって、見渡せる場所も無い。だから、この湿原を歩くのなら、南側からではなくて北側から入るのがお勧めだ。
南側の口から歩いて直ぐの場所に砂利の一寸した駐車場があり、そこに大きな看板が立っている。
ここから見える風景もなかなか良い。
歩いて数分でカルペデイムに戻る。
戻ったら直ぐに昼食を戴く。実は、事前にお昼ご飯もお願いしてあったのだ。
食べ終わったら、子供は湿原へ撮影に出かけた。母は棚にあった小説を読み、我々夫婦はデッキに出て湿原を眺めて過ごす。
何もせず、ただ湿原をぼーっと眺めているだけ。
何とも贅沢な時間である。
夕方になったらお風呂に入り、再び湿原を眺めてのんびり過ごす。子供も湿原散歩から帰って来た。
しばらくしたら、お待ちかねの夕食となる。子供はフルセット、
拙者も妻も母も一品減らして貰う。
アフターはムース(?)だ。
食べ終わってしばらくしたら、恒例のおしゃべりタイムに突入する。
雑談していたら日付が変わってしまったので、歯を磨いて寝る。今日も布団をかけないと寒い。やっぱり高原は涼しいねぇ...zzz。
(続く)
避暑で信州へ(その2) [雑感]
(前回からの続き)
しばらく進むと、自然と桜沢トンネルを通り抜けた。この区間は過去に災害などで通行止めが複数回あった事から、トンネル工事が進められていたらしい。
トンネルを抜けると徐々に人家が増えてきて、市街地が近い事を実感する。JR洗馬駅近くを通り過ぎると建物も交通量も一気に激増、市街地となる。そのまま直進して国道20に進み、更に進むと長い上り坂になる。アクセルペダルを目一杯踏み込んでも、キックダウンせず徐々に速度が落ちてしまう。トルコンの劣化で動きが少しおかしいみたいだ。その為、何度もギアを手動で落とす羽目に。
峠を越えて少し進むと諏訪湖が見えてくる。下り坂は運転が楽だ。(笑)下り切ったら下諏訪岡谷バイパスへは進まず、そのまま国道20を進む。硯川を渡って少し進むと「春宮大門」という交差点が見えてくるので「ここで曲がれば行けるんじゃね?」と左折。案の定春宮の真ん前に来たが、駐車場が一杯で車を止められない。何やら看板が出ている。
しかし、地図も案内図も無いので、一体何処にあるのかサッパリ分からない。
# スーパーローカルジモティーなら判るんだろうけど。
15分ほど待っていたら空きが出来たので、車を止めて春宮へ。子供の911は更に10分ほど待って漸く停められたそう。
帰宅してから調べたら、二ヶ所共かなり離れた場所にある駐車場と分かった。
# これじゃ、案内看板の意味無いやん。
春宮の境内で子供と合流、お参りする。近くは何度も通っているんだけれど、ここに来るのは初めてだ。
お参りを済ませたら、次は万治の石仏さまへと移動する。途中に、「諏訪大社七不思議」の浮島社がある。
実際に現地に立ってみて「あぁ、なるほどォ。でも、不思議じゃないよなぁ」と。何故不思議ではないのか?...は実際に現地に行って答えを考えて貰いましょ。(笑)狭い橋を渡って歩道を進む。
案内看板を通り過ぎると、万治の石仏さまが鎮座している。
何と表現したら良いのか分からない、独特の佇まいだ。1660年に造られたそうだから、江戸時代初期という事になる。
お参りを済ませたら戻るのだが、途中浮島社の木漏れ日が面白い形なので撮影してみた。
駐車場に戻ると、既にかなりの車が出て行ったようで空いていた。時間帯を選べば待たずに停められるのかも知れない。
各自車に乗り込んで出発。国道20に戻り、湖岸近くを進み、元町の交差点で県道40へと進む。
この道は地蔵寺を超えた辺りから傾斜が強くなり、アクセルペダルをベタ踏みにしてもなかなか進んでくれない。選定木等リサイクル施設を通り過ぎると人家も無くなり、坂もカーブもどんどんキツくなる。
一旦速度を落としてしまうと、いくらアクセルペダルをベタ踏みしても全然上って行ってくれないので、カーブでも極力スピードを落とさず、しかも同乗者が酔わないように遠心力が強くならぬよう注意深く運転して進む。どんな事をやっても瞬間的に40km/hを出すのが精一杯だ。すると、5分ほどで前方を走る普通車に追いついてしまった。
# という事は、前方を走る車の運転手は思いっ切り下...(以下、自粛)。
何とか後続車両からクラクションを鳴らされずに済んで「やれやれ、ようやく上れたわ」と思いながら、旧霧の駅を横目で見ながら通り過ぎて県道424へ入ろうとしたら、子供の911が目の前を横切った。県道とは別の道を使って上がってきたらしい。県道424を下るが、下り坂は本当に楽だなー。(核爆)16時前に無事カルペデイムに到着。
部屋で荷を解いたら、ベランダに出て踊場湿原を眺める。
涼しい風が吹き渡る中、飲みながら湿原を愛でるなんて、「本当に極楽」そのもの。雲が少し出てきて、刻々と湿原の色合いが移り変わって行く。
しばし休憩したら、順番にお風呂に入ってのんびり。その後はお待ちかねの夕食となる。子供はフルセット、
拙者は食べる量が減っているので、メインディッシュを一品減らして貰った。
アフターはアイスクリーム。
今日はオンラインセミナーが21時から1時間ある為、食べ終わったらパソコンを取り出してネットに接続。21時からセミナーが始まり、メモを取りながら受講する。
# 旅先で勉強する羽目になるとは...。(汗)
1時間でセミナー終了、その後いつものおしゃべりタイムに突入する。
雑談していたら日付が変わってしまったので「そろそろ寝よう!」歯を磨いて寝床に入る。自宅だとエアコン無しで寝るのは無理だが、こちらだと布団をかけないと寒い。標高が高いと本当に気温が低いんだなぁ...zzz。
(続く)
しばらく進むと、自然と桜沢トンネルを通り抜けた。この区間は過去に災害などで通行止めが複数回あった事から、トンネル工事が進められていたらしい。
トンネルを抜けると徐々に人家が増えてきて、市街地が近い事を実感する。JR洗馬駅近くを通り過ぎると建物も交通量も一気に激増、市街地となる。そのまま直進して国道20に進み、更に進むと長い上り坂になる。アクセルペダルを目一杯踏み込んでも、キックダウンせず徐々に速度が落ちてしまう。トルコンの劣化で動きが少しおかしいみたいだ。その為、何度もギアを手動で落とす羽目に。
峠を越えて少し進むと諏訪湖が見えてくる。下り坂は運転が楽だ。(笑)下り切ったら下諏訪岡谷バイパスへは進まず、そのまま国道20を進む。硯川を渡って少し進むと「春宮大門」という交差点が見えてくるので「ここで曲がれば行けるんじゃね?」と左折。案の定春宮の真ん前に来たが、駐車場が一杯で車を止められない。何やら看板が出ている。
しかし、地図も案内図も無いので、一体何処にあるのかサッパリ分からない。
# スーパーローカルジモティーなら判るんだろうけど。
15分ほど待っていたら空きが出来たので、車を止めて春宮へ。子供の911は更に10分ほど待って漸く停められたそう。
帰宅してから調べたら、二ヶ所共かなり離れた場所にある駐車場と分かった。
# これじゃ、案内看板の意味無いやん。
春宮の境内で子供と合流、お参りする。近くは何度も通っているんだけれど、ここに来るのは初めてだ。
お参りを済ませたら、次は万治の石仏さまへと移動する。途中に、「諏訪大社七不思議」の浮島社がある。
実際に現地に立ってみて「あぁ、なるほどォ。でも、不思議じゃないよなぁ」と。何故不思議ではないのか?...は実際に現地に行って答えを考えて貰いましょ。(笑)狭い橋を渡って歩道を進む。
案内看板を通り過ぎると、万治の石仏さまが鎮座している。
何と表現したら良いのか分からない、独特の佇まいだ。1660年に造られたそうだから、江戸時代初期という事になる。
お参りを済ませたら戻るのだが、途中浮島社の木漏れ日が面白い形なので撮影してみた。
駐車場に戻ると、既にかなりの車が出て行ったようで空いていた。時間帯を選べば待たずに停められるのかも知れない。
各自車に乗り込んで出発。国道20に戻り、湖岸近くを進み、元町の交差点で県道40へと進む。
この道は地蔵寺を超えた辺りから傾斜が強くなり、アクセルペダルをベタ踏みにしてもなかなか進んでくれない。選定木等リサイクル施設を通り過ぎると人家も無くなり、坂もカーブもどんどんキツくなる。
一旦速度を落としてしまうと、いくらアクセルペダルをベタ踏みしても全然上って行ってくれないので、カーブでも極力スピードを落とさず、しかも同乗者が酔わないように遠心力が強くならぬよう注意深く運転して進む。どんな事をやっても瞬間的に40km/hを出すのが精一杯だ。すると、5分ほどで前方を走る普通車に追いついてしまった。
# という事は、前方を走る車の運転手は思いっ切り下...(以下、自粛)。
何とか後続車両からクラクションを鳴らされずに済んで「やれやれ、ようやく上れたわ」と思いながら、旧霧の駅を横目で見ながら通り過ぎて県道424へ入ろうとしたら、子供の911が目の前を横切った。県道とは別の道を使って上がってきたらしい。県道424を下るが、下り坂は本当に楽だなー。(核爆)16時前に無事カルペデイムに到着。
部屋で荷を解いたら、ベランダに出て踊場湿原を眺める。
涼しい風が吹き渡る中、飲みながら湿原を愛でるなんて、「本当に極楽」そのもの。雲が少し出てきて、刻々と湿原の色合いが移り変わって行く。
しばし休憩したら、順番にお風呂に入ってのんびり。その後はお待ちかねの夕食となる。子供はフルセット、
拙者は食べる量が減っているので、メインディッシュを一品減らして貰った。
アフターはアイスクリーム。
今日はオンラインセミナーが21時から1時間ある為、食べ終わったらパソコンを取り出してネットに接続。21時からセミナーが始まり、メモを取りながら受講する。
# 旅先で勉強する羽目になるとは...。(汗)
1時間でセミナー終了、その後いつものおしゃべりタイムに突入する。
雑談していたら日付が変わってしまったので「そろそろ寝よう!」歯を磨いて寝床に入る。自宅だとエアコン無しで寝るのは無理だが、こちらだと布団をかけないと寒い。標高が高いと本当に気温が低いんだなぁ...zzz。
(続く)
避暑で信州へ(その1) [雑感]
毎年お盆に霧ヶ峰のカルペデイムへ避暑に出かけている。しかし、今年はお盆前後に色々な予定が詰まってしまい、家族揃っていくのは無理。「じゃぁ、時期をずらして」という話になり、家族全員が行ける7月末と決まった。
更に、妻が「一泊だと帰った日の夕食から色々と考えなきゃならなくなるから、結局ゆっくりできない」と言うので2連泊する事に。
昨年に引き続き今年も中央道はリニューアル工事を複数個所で今年末までやっている為、高速道を使うと渋滞にはまってしまい、時間がどれ位掛かるのかが読めない。なので、下道を使う。
# 勿論、高速料金の節約というのも大きな理由だけどねー。
29日朝7時半過ぎにスタンドへ行き、代車エッセを満タンにしてから自宅に戻る。2台で行くので、子供と相談して「次は道の駅木曽福島に集合」と決める。子供は911に荷物を詰め込んで、8時半過ぎに先に出掛けた。拙者達もエッセに荷物を詰め込んで8時50分頃に出発する。
県道183を犬山方向へと進む。天気の良い土曜日だからか交通量は多い。犬山市街を抜けて県道64を東進する。いつもならそのまま進んで尾張パークウェイ(県道461)を使うのだけれど、今回は中央道は使わないし、国道19で多治見市街を走ると時間が掛かり過ぎるので、国道41(名濃バイパス)を岐阜県方向へと進む。県道349・県道84は交通量はそこそこだったけれど、国道21に入ると一気に車の量が増える。道の駅可児ッテを過ぎると片側一車線となり、遅い車が前方を走るので、時間が掛かる割には距離が進まない。
名鉄広見線御嶽駅近くを過ぎたら、国道21を離れてゴルフ場の合間を走る道へ。こちらは坂が多いけれど信号はほぼゼロなので、時間的にこちらを走る方が早いのだ。道なりに進んで道の駅志野・織部手前で再び国道21に入る。ここまで来ると交通量は少ない。土岐市街へと下って行くに連れて交通量が多くなり、国道19との交差点まで来ると渋滞するほどではないにしても交通量は非常に多い。
国道19は交通量が多くて信号も多いので、あちこちで停められる割には距離を稼げない。瑞浪市街を抜けて中央道の高架が近寄ってくると、片側一車線となる。
恵那市に入り、まきがね公園の脇を通り過ぎると片側2車線となり、交通量も少し増える。そのまま中津川市街地に突っ込むと、更に交通量が増える。けれど、落合川を渡ると車の数は半減、一寸走り易くなる。長い上り坂を上がると片側一車線となる。ここから国道153の交差点(長野県塩尻市)までは、基本的に片側一車線のままである。
チョイ古の軽自動車に複数の人間と荷物が乗車している上に、エアコンを付けっ放しの状態な為、上り坂になるとアクセルペダルをベタ踏みしても前方の乗用車に置いて行かれてしまう。山間部を走る国道なのでアップダウンが多く、とにかく後ろの車に迷惑にならぬよう、神経を使って走るので疲れる。(溜息)
11時少し前に道の駅・木曽福島に到着。
しかし、子供の乗る911は見当たらない。
「あれぇ?あんまり遅いもんだから、もう先へ行っちゃったんかなー?」電話したら「今大桑町を走っているところ」だと。はぁ?...なんだかエラく遅いんでないかい??とりあえず、来るのを待つ事に。
トイレに行ったら、出入り口近くに燕の巣がある。雛は結構大きい。
30分ほど経って、子供の911が到着。
小牧東IC脇を通り抜けて国道19に入り、そのまま多治見市街に突っ込んで走って来たという。
国道21で可児市経由で土岐市に出るとかなり遠回りになるのだけれど、多治見市内の交差点と国道19の交通量の多さを考えたら、遠回りでも可児市経由の方が早い。
今までは経験だけで何となく「だいぶ早い」という感じだったけれど、同じ日のほぼ同じような時間に出発しての結果だから「確実に一時間早い」という事が明確になった。これは一寸した収穫だな。(笑)
昼近くなので、序でにここで昼食を済ませる。拙者は、自宅から持参したパンを食べた。
食べ終わって売店を見たりしていたら、看板が目についた。
確かに御岳山が見える。
よく見ると、高圧線が邪魔だな。
皆昼食を食べ終わったら、それぞれの車に乗り込んで出発する。
交通量はやや多めでも流れがスムーズなので、平らな路面ならストレスフリーだが、上り坂になると途端に冷や汗が出る。(汗)まぁ、軽自動車に沢山載ってるんだから仕方あるまい。
国道361との交差点を過ぎると交通量は少し減る。そのまま進んで道の駅木曽ならかわを通り過ぎて少し進んだら、竜門堂に立ち寄る。
あれこれ迷って、箸一膳を購入。それ以外にも、「何かに使えそう」と子供がエボニー端材を購入した。ここで、思いっ切り心を惹かれた物が処分価格で出ていたが、一寸大きな物なので帰り道にまた寄って購入する事にした。
# 数日なら売れずに残ってるだろうし。
次は諏訪大社下社春宮へ行く事を確認して走り出す...。
(続く)
更に、妻が「一泊だと帰った日の夕食から色々と考えなきゃならなくなるから、結局ゆっくりできない」と言うので2連泊する事に。
昨年に引き続き今年も中央道はリニューアル工事を複数個所で今年末までやっている為、高速道を使うと渋滞にはまってしまい、時間がどれ位掛かるのかが読めない。なので、下道を使う。
# 勿論、高速料金の節約というのも大きな理由だけどねー。
29日朝7時半過ぎにスタンドへ行き、代車エッセを満タンにしてから自宅に戻る。2台で行くので、子供と相談して「次は道の駅木曽福島に集合」と決める。子供は911に荷物を詰め込んで、8時半過ぎに先に出掛けた。拙者達もエッセに荷物を詰め込んで8時50分頃に出発する。
県道183を犬山方向へと進む。天気の良い土曜日だからか交通量は多い。犬山市街を抜けて県道64を東進する。いつもならそのまま進んで尾張パークウェイ(県道461)を使うのだけれど、今回は中央道は使わないし、国道19で多治見市街を走ると時間が掛かり過ぎるので、国道41(名濃バイパス)を岐阜県方向へと進む。県道349・県道84は交通量はそこそこだったけれど、国道21に入ると一気に車の量が増える。道の駅可児ッテを過ぎると片側一車線となり、遅い車が前方を走るので、時間が掛かる割には距離が進まない。
名鉄広見線御嶽駅近くを過ぎたら、国道21を離れてゴルフ場の合間を走る道へ。こちらは坂が多いけれど信号はほぼゼロなので、時間的にこちらを走る方が早いのだ。道なりに進んで道の駅志野・織部手前で再び国道21に入る。ここまで来ると交通量は少ない。土岐市街へと下って行くに連れて交通量が多くなり、国道19との交差点まで来ると渋滞するほどではないにしても交通量は非常に多い。
国道19は交通量が多くて信号も多いので、あちこちで停められる割には距離を稼げない。瑞浪市街を抜けて中央道の高架が近寄ってくると、片側一車線となる。
恵那市に入り、まきがね公園の脇を通り過ぎると片側2車線となり、交通量も少し増える。そのまま中津川市街地に突っ込むと、更に交通量が増える。けれど、落合川を渡ると車の数は半減、一寸走り易くなる。長い上り坂を上がると片側一車線となる。ここから国道153の交差点(長野県塩尻市)までは、基本的に片側一車線のままである。
チョイ古の軽自動車に複数の人間と荷物が乗車している上に、エアコンを付けっ放しの状態な為、上り坂になるとアクセルペダルをベタ踏みしても前方の乗用車に置いて行かれてしまう。山間部を走る国道なのでアップダウンが多く、とにかく後ろの車に迷惑にならぬよう、神経を使って走るので疲れる。(溜息)
11時少し前に道の駅・木曽福島に到着。
しかし、子供の乗る911は見当たらない。
「あれぇ?あんまり遅いもんだから、もう先へ行っちゃったんかなー?」電話したら「今大桑町を走っているところ」だと。はぁ?...なんだかエラく遅いんでないかい??とりあえず、来るのを待つ事に。
トイレに行ったら、出入り口近くに燕の巣がある。雛は結構大きい。
30分ほど経って、子供の911が到着。
小牧東IC脇を通り抜けて国道19に入り、そのまま多治見市街に突っ込んで走って来たという。
国道21で可児市経由で土岐市に出るとかなり遠回りになるのだけれど、多治見市内の交差点と国道19の交通量の多さを考えたら、遠回りでも可児市経由の方が早い。
今までは経験だけで何となく「だいぶ早い」という感じだったけれど、同じ日のほぼ同じような時間に出発しての結果だから「確実に一時間早い」という事が明確になった。これは一寸した収穫だな。(笑)
昼近くなので、序でにここで昼食を済ませる。拙者は、自宅から持参したパンを食べた。
食べ終わって売店を見たりしていたら、看板が目についた。
確かに御岳山が見える。
よく見ると、高圧線が邪魔だな。
皆昼食を食べ終わったら、それぞれの車に乗り込んで出発する。
交通量はやや多めでも流れがスムーズなので、平らな路面ならストレスフリーだが、上り坂になると途端に冷や汗が出る。(汗)まぁ、軽自動車に沢山載ってるんだから仕方あるまい。
国道361との交差点を過ぎると交通量は少し減る。そのまま進んで道の駅木曽ならかわを通り過ぎて少し進んだら、竜門堂に立ち寄る。
あれこれ迷って、箸一膳を購入。それ以外にも、「何かに使えそう」と子供がエボニー端材を購入した。ここで、思いっ切り心を惹かれた物が処分価格で出ていたが、一寸大きな物なので帰り道にまた寄って購入する事にした。
# 数日なら売れずに残ってるだろうし。
次は諏訪大社下社春宮へ行く事を確認して走り出す...。
(続く)
タグ:カルペデイム
バッグ修理完了 [雑感]
普段から手にカバンを持つのが好きではないのと、昔はバイクでの移動が殆どだった為、専らウエストバッグを愛用している。
大きさによって三つを使い分けているのだけれど、一番大きくて使用頻度が最も高いのが中古で仕入れたCoach(コーチ)のボディバッグである。
本来はボディバッグなのだけれど、ベルトを最短にしてウエストバッグとして使っている。
一般的なサイズのバイク用ウエストバッグだと、スマホを入れると三つ折り財布すら入らなくなってしまう。折畳み式携帯電話なら小さいから問題無かったが、スマホは画面の大型化で案外嵩張るのだ。
その点、Coachのボディバッグは大きめで、スマホ・三つ折り財布・コンパクトデジカメ・ティッシュ・エコバッグを入れてもまだ少し余裕がある。色々入るから、これを使う事がとても多い。
使い始めて3年ほどしたら、ベルトを支える革の内側が剥げて来た。
外側は問題無い。
内側だけ合成皮革を使ってあるらしい。
このままでも強度的には問題無いのだけれど、剥がれた小さなヒラヒラした物が服などに付いてしまう。「これは一寸不味いなぁ。直せるものなら直したい」と思っていた。
6月上旬、たまたまプレミアムアウトレット土岐へ出掛ける機会があったので、序でにCoachのお店で聞いてみたら「二ヶ月ほどお時間を頂ければ修理出来ます」と。ただ、費用が「4万7千円弱かかります。」
その金額なら新品が買える。けれど、拙者が欲しいと思うような同じようなサイズのレザーのウエストバッグは何故か無いのである。
使い勝手を考えると、荷室が一つだと中に入っている物がゴチャゴチャになって出し難い。荷室が二つに分かれているスタイリッシュな物だと厚みが足りなくて、財布やデジカメが入らない。
また、同じようなサイズの革製は無く、一回り大きな物になってしまう。これではウエストバッグとしては使い難い。
色々考えて、「じゃぁお願いします」と修理を依頼した。
一ヶ月半経ったら「修理が完了しましたのでご自宅宛てに発送しました」というEメールが届き、翌日箱が届いた。
出して見たら、丁寧に梱包されていた。
取り出して確認すると、一枚革できちんと修理されていた。
厚みがあってしっかりした革なので、これなら長持ちしそうだ。
修理費は痛かったけれど、これで再び使えるようになった。目出度しメデタシ、である。
大きさによって三つを使い分けているのだけれど、一番大きくて使用頻度が最も高いのが中古で仕入れたCoach(コーチ)のボディバッグである。
本来はボディバッグなのだけれど、ベルトを最短にしてウエストバッグとして使っている。
一般的なサイズのバイク用ウエストバッグだと、スマホを入れると三つ折り財布すら入らなくなってしまう。折畳み式携帯電話なら小さいから問題無かったが、スマホは画面の大型化で案外嵩張るのだ。
その点、Coachのボディバッグは大きめで、スマホ・三つ折り財布・コンパクトデジカメ・ティッシュ・エコバッグを入れてもまだ少し余裕がある。色々入るから、これを使う事がとても多い。
使い始めて3年ほどしたら、ベルトを支える革の内側が剥げて来た。
外側は問題無い。
内側だけ合成皮革を使ってあるらしい。
このままでも強度的には問題無いのだけれど、剥がれた小さなヒラヒラした物が服などに付いてしまう。「これは一寸不味いなぁ。直せるものなら直したい」と思っていた。
6月上旬、たまたまプレミアムアウトレット土岐へ出掛ける機会があったので、序でにCoachのお店で聞いてみたら「二ヶ月ほどお時間を頂ければ修理出来ます」と。ただ、費用が「4万7千円弱かかります。」
その金額なら新品が買える。けれど、拙者が欲しいと思うような同じようなサイズのレザーのウエストバッグは何故か無いのである。
使い勝手を考えると、荷室が一つだと中に入っている物がゴチャゴチャになって出し難い。荷室が二つに分かれているスタイリッシュな物だと厚みが足りなくて、財布やデジカメが入らない。
また、同じようなサイズの革製は無く、一回り大きな物になってしまう。これではウエストバッグとしては使い難い。
色々考えて、「じゃぁお願いします」と修理を依頼した。
一ヶ月半経ったら「修理が完了しましたのでご自宅宛てに発送しました」というEメールが届き、翌日箱が届いた。
出して見たら、丁寧に梱包されていた。
取り出して確認すると、一枚革できちんと修理されていた。
厚みがあってしっかりした革なので、これなら長持ちしそうだ。
修理費は痛かったけれど、これで再び使えるようになった。目出度しメデタシ、である。
悲報 [雑感]
コロナウィルスが5月8日に第五類へ移行したけれど、だからといってコロナウィルスが撲滅された訳では無いし、罹患しても軽傷で済むという保証も無い。しかも、罹患した1割が後遺症に苦しんでいるというから、かからないに越した事は無い。拙者は老齢の母を抱えているから、万が一拙者が罹患して母にうつしてしまったらそれこそ取り返しのつかない事態に成り兼ねない。
だから、NEC退職者懇談会(以下、懇談会)は2017年9月の開催以降ずーっとを見送っていた。
前回開催の数か月後、一度オンラインでの開催を提案した事があったのだけれど、当時は今ほどにはソフトやネットも含めて環境が整っておらず、結局立ち消えとなってしまった。
一方、コロナウィルスで長期に亘る自粛期間のお陰で、現在ではオンライン・ミーティングが気軽にできる環境が整ってきている。カメラ付きのノートパソコンか、或いは一寸したWEBカメラを付けたデスクトップパソコンがあれば、誰でもオンラインで雑談できる環境が整ってきているのである。
そんな事もあって、懇談会のメンバーに改めてメールで連絡を入れた。
数日後、メンバーから「M君だけメールがエラーになる」と連絡が入った。「へ?こっちはエラーにならんかったけれど??」ところが、よくよく調べてみたらエラーを知らせるメールが自動的にメールソフトのゴミ箱に入っていた。だから気が付かなかったのだ。
エラーの具体的な内容は「smtp; 550 Invalid recipient」、一言で言えば「そんな受信者居らへんでぇ」と。M君の携帯電話に電話すると「その番号は現在使われておりません」という自動アナウンスが流れる。自宅の固定電話の電話番号は、普段使わないのでどこにも残っていない。だから、連絡手段が無い。
かなり慌ててgoogle mapで彼の自宅を見た。
一応建物は存在するけれど、一階も二階もシャッターがピッタリと閉じられていて、どう見ても人が住んでいるようには見えない。「あれぇ?どっかへ引っ越したんかなー??...でも、引っ越したんなら連絡をくれると思うんだけど???」この時点で何とも言えず嫌な予感が頭を過ぎった。「まさかとは思うが...。」
二日後、「あ!そういえば、バックアップのUSBメモリに電話帳があった筈」と思い出し、USBメモリを探し出してPCで見る。すると、自宅の電話番号が入っていた。「あぁ、良かったー。これで連絡が付くわ。」
早速電話したら、留守番電話のアナウンスが流れる。12日、「メールが届かないので、連絡下さい」とメッセージを入れておいた。
12日20時ピッタリに、拙者の携帯電話が鳴る。「(。´・ω・)ん?こんな時間に誰だろう?」と思いながら電話に出た。電話の主はM君の妹さん。
曰く「昨年12月心臓発作による突然死で亡くなりました。」続けて「(直近に)メールや電話のやり取りがあった方々には連絡したのですが、それ以外の方々には連絡を入れる事をしておりませんでした。誠に申し訳ありません」と。因みに、M君の親父さんも、定年目前で勤務中に心臓発作で倒れ、そのまま亡くなっている。
「嗚呼...。(絶句)」これで、謎が解けた。
拙者は普段あまり夢を見る事が無く、見たとしても荒唐無稽な内容か、トイレ探しで大騒ぎしているなんてものが殆ど。
どんな夢にしても、知っている人物が登場する事はまず無い。いつも見ず知らずの人ばかりで、日本人以外の人種が登場する事も多いけれど、何故か必ず日本語で話している。ちなみに、トイレ探しの夢は、その後必ず目が覚めてトイレに行ってスッキリ!で御終いになる。
ところが、昨年12月に見た夢では珍しくM君が登場したのだ。いつも会う時の様に、ニコニコした顔が脳裏に焼き付いている。今となっては夢の内容は覚えていないのだけれど、朝起きた時に「どうしてM君が夢に出て来たんだろう?不思議だなぁ...。」以来ずーっと疑問に感じていたのだ。
今から思えば、お別れの為にわざわざ会いに来てくれたのだと思う。それに気が付かなかったのが、今になっては「後悔」なんて言葉だけでは到底表現し切れない程に激しく悔やまれる。どれだけ悔やんでも、悔やんでも、悔み切れない。
M君はNECに入社した時からの友人で、以来付き合いは35年になる。仕事上では一度も一緒になった事はないけれど、同じ課内だった時期も5年ほどあり、仕事上でもプライベートでも最も近い距離で、何でも話し合える親友の一人。イギリス英語でいう「One of my friend」だった。
だから、妹さんから「亡くなりました」と言われても、頭では理解している積りでも実感が湧かず、「あっ...そうでしたか。」という事務的な対応になってしまった。
ところが、丸一日過ぎた頃からじわじわと身に染みて彼の死を感じるようになってきた。何かに集中していれば良いのだけれど、ふと手が停まったりすると彼のいつもの笑顔が浮かんできて涙ぐんでしまう。「いつまでも悲しんでいたら、彼はきっと嬉しくないだろう」とは思うのだが、どうしても涙が止まらない。
この悲しみから這い上がるまでにはまだまだ時間が掛かりそう...せめて、彼が生きられなかった分を拙者達が取り戻してやろうと思う。
だから、NEC退職者懇談会(以下、懇談会)は2017年9月の開催以降ずーっとを見送っていた。
前回開催の数か月後、一度オンラインでの開催を提案した事があったのだけれど、当時は今ほどにはソフトやネットも含めて環境が整っておらず、結局立ち消えとなってしまった。
一方、コロナウィルスで長期に亘る自粛期間のお陰で、現在ではオンライン・ミーティングが気軽にできる環境が整ってきている。カメラ付きのノートパソコンか、或いは一寸したWEBカメラを付けたデスクトップパソコンがあれば、誰でもオンラインで雑談できる環境が整ってきているのである。
そんな事もあって、懇談会のメンバーに改めてメールで連絡を入れた。
数日後、メンバーから「M君だけメールがエラーになる」と連絡が入った。「へ?こっちはエラーにならんかったけれど??」ところが、よくよく調べてみたらエラーを知らせるメールが自動的にメールソフトのゴミ箱に入っていた。だから気が付かなかったのだ。
エラーの具体的な内容は「smtp; 550 Invalid recipient」、一言で言えば「そんな受信者居らへんでぇ」と。M君の携帯電話に電話すると「その番号は現在使われておりません」という自動アナウンスが流れる。自宅の固定電話の電話番号は、普段使わないのでどこにも残っていない。だから、連絡手段が無い。
かなり慌ててgoogle mapで彼の自宅を見た。
一応建物は存在するけれど、一階も二階もシャッターがピッタリと閉じられていて、どう見ても人が住んでいるようには見えない。「あれぇ?どっかへ引っ越したんかなー??...でも、引っ越したんなら連絡をくれると思うんだけど???」この時点で何とも言えず嫌な予感が頭を過ぎった。「まさかとは思うが...。」
二日後、「あ!そういえば、バックアップのUSBメモリに電話帳があった筈」と思い出し、USBメモリを探し出してPCで見る。すると、自宅の電話番号が入っていた。「あぁ、良かったー。これで連絡が付くわ。」
早速電話したら、留守番電話のアナウンスが流れる。12日、「メールが届かないので、連絡下さい」とメッセージを入れておいた。
12日20時ピッタリに、拙者の携帯電話が鳴る。「(。´・ω・)ん?こんな時間に誰だろう?」と思いながら電話に出た。電話の主はM君の妹さん。
曰く「昨年12月心臓発作による突然死で亡くなりました。」続けて「(直近に)メールや電話のやり取りがあった方々には連絡したのですが、それ以外の方々には連絡を入れる事をしておりませんでした。誠に申し訳ありません」と。因みに、M君の親父さんも、定年目前で勤務中に心臓発作で倒れ、そのまま亡くなっている。
「嗚呼...。(絶句)」これで、謎が解けた。
拙者は普段あまり夢を見る事が無く、見たとしても荒唐無稽な内容か、トイレ探しで大騒ぎしているなんてものが殆ど。
どんな夢にしても、知っている人物が登場する事はまず無い。いつも見ず知らずの人ばかりで、日本人以外の人種が登場する事も多いけれど、何故か必ず日本語で話している。ちなみに、トイレ探しの夢は、その後必ず目が覚めてトイレに行ってスッキリ!で御終いになる。
ところが、昨年12月に見た夢では珍しくM君が登場したのだ。いつも会う時の様に、ニコニコした顔が脳裏に焼き付いている。今となっては夢の内容は覚えていないのだけれど、朝起きた時に「どうしてM君が夢に出て来たんだろう?不思議だなぁ...。」以来ずーっと疑問に感じていたのだ。
今から思えば、お別れの為にわざわざ会いに来てくれたのだと思う。それに気が付かなかったのが、今になっては「後悔」なんて言葉だけでは到底表現し切れない程に激しく悔やまれる。どれだけ悔やんでも、悔やんでも、悔み切れない。
M君はNECに入社した時からの友人で、以来付き合いは35年になる。仕事上では一度も一緒になった事はないけれど、同じ課内だった時期も5年ほどあり、仕事上でもプライベートでも最も近い距離で、何でも話し合える親友の一人。イギリス英語でいう「One of my friend」だった。
だから、妹さんから「亡くなりました」と言われても、頭では理解している積りでも実感が湧かず、「あっ...そうでしたか。」という事務的な対応になってしまった。
ところが、丸一日過ぎた頃からじわじわと身に染みて彼の死を感じるようになってきた。何かに集中していれば良いのだけれど、ふと手が停まったりすると彼のいつもの笑顔が浮かんできて涙ぐんでしまう。「いつまでも悲しんでいたら、彼はきっと嬉しくないだろう」とは思うのだが、どうしても涙が止まらない。
この悲しみから這い上がるまでにはまだまだ時間が掛かりそう...せめて、彼が生きられなかった分を拙者達が取り戻してやろうと思う。
山だ、響く山だ、ついに山が来た!? [雑感]
以前修理したBOSE AW-1は、こちらも修理した事のあるポータブルCDプレーヤーSony D-265を接続して使っている。
先月辺りから、使用中に時々左側の音が急に小さくなったり雑音が入ったりするようになった。音が完全に途切れるという訳では無いし、問題無く動いている時もあるので、何が原因なのかは分からない。
段々と症状が頻発するようになってきて「こりゃーそろそろ要修理か?」と。
症状から推測するに、多分LINE入力の左側の接触が悪くなっているんだろう。
いつもなら分解して調べるんだけれど、生憎現在自分の使っている部屋は要修理品や段ボールなど、色んな物で溢れかえっていて分解するだけのスペースを確保できない。(滝汗)
# 整理整頓すれば良いだけの話なんですけどね、エエ。(^^;)...(--;)
接触が悪い状態で無理に使い続けているとLINE入力端子に繋がる入力バッファー回路に負担が掛かってしまい、下手すると回路を壊してしまう。なので、使うのを一時的に止めている。
このブログを読んで下さっている方々は「代わりに日立のラジカセ使えばエエやん」と仰るだろうが、実はTRK-8280もTRK-8180も回路側に問題があるらしくて、どちらも正常に動作しない。(汗)
部屋では大抵FMラジオやCDを聞きながら作業している。別に何も音を出さなくても問題無いのだけれど、無いと何となく寂しい。「また同じラジカセを仕入れるのは情けないしなぁ...そう言えば、あのラジカセって今も手に入るんだろうか?」
ネットで探して見るとあるにはあるが、整備済みだと「何それ?」って突っ込みたくなるような金額で売られている。未整備品は外観によって金額に大きな差があるけれど、一応ラジオが使える程度なら1万弱が相場みたいだ。「じゃぁ、一寸探してみよう!」
数日後「音は一応出るけど古いのでジャンク扱い」というのを落札、数日後自宅に送られてきたのが、これ。
ソニーのラジカセ「エナジー99」(型番はCFS-99)である。
ソニーのラジカセのトップモデルだけあって、定価84,800円!幅594mm×高さ347mm×奥行き169mm(最大突起部含む、把手含まず)・重さ10.8kg(カタログ値)と、巨大な物。ウーファーの口径は20cmで、下手なミニコンポより大きい。発売時のキャッチフレーズはその大きさを意識したのか「山だ、響く山だ、ついに山が来た」だった。
本当はこの機種が欲しかったのだが、親から「高過ぎる」と拒否されてTRK-8180に落ち着いた、と言う経緯がある。だから、あえてこの機種にした、という訳だ。
ラジカセだから難しい部分は何もない。でも、拙者自身も初めての機種なので、まずは操作系をチェックする。
左端から、緑のボタンが電源スイッチ、音量と左右のバランス、高音と低音を調整するイコライザー、エコー(マイク用?)、
マイク1、マイク2、
テープ、LINE入力、
ラジオと選局ダイアル、という順に並んでいる。
前面中央にカセット操作部があり、その下にヘッドフォン出力端子とマイク端子2つがある。
背面には外部マイク入力、LINE/PHONO入力、LINE出力がある。
アンテナ部に、FMラジオアンテナの同軸ケーブル用接続端子もある。
どういう場所で使われていたのかは分からないが、かなりタバコ臭がするし全体的に汚れているので、軽く清掃した。
飲食店で使わずに持ち帰った紙製おしぼりで半分ほどを拭いたら、真っ黒になった(ちなみに上側は未使用の状態)。
アンテナ先端の樹脂部品もかなり茶色くなっていた。右が拭く前・左が拭いた後。
カセットテープ以外の動作を一通りチェックしてみたら、電源ケーブルをコンセントに挿しただけでカセット部のキャンプスタン・モーターが回り始めて止まらない。音を出すのに支障は無いけれど、無駄に電力を消費してしまうのは問題だ。
それ以外は動作に問題は無い。出て来る音は高音部がだいぶ削られているけれど、モコモコになるほどではない。
早速CDプレーヤーD-265を接続して使っているけれど、やっぱり高音部の抜けが悪いのが引っかかる。それに、電源を切った状態でもモーターの回転音がするので、意外と五月蠅い。うーん、こいつも要修理...かなぁ???
先月辺りから、使用中に時々左側の音が急に小さくなったり雑音が入ったりするようになった。音が完全に途切れるという訳では無いし、問題無く動いている時もあるので、何が原因なのかは分からない。
段々と症状が頻発するようになってきて「こりゃーそろそろ要修理か?」と。
症状から推測するに、多分LINE入力の左側の接触が悪くなっているんだろう。
いつもなら分解して調べるんだけれど、生憎現在自分の使っている部屋は要修理品や段ボールなど、色んな物で溢れかえっていて分解するだけのスペースを確保できない。(滝汗)
# 整理整頓すれば良いだけの話なんですけどね、エエ。(^^;)...(--;)
接触が悪い状態で無理に使い続けているとLINE入力端子に繋がる入力バッファー回路に負担が掛かってしまい、下手すると回路を壊してしまう。なので、使うのを一時的に止めている。
このブログを読んで下さっている方々は「代わりに日立のラジカセ使えばエエやん」と仰るだろうが、実はTRK-8280もTRK-8180も回路側に問題があるらしくて、どちらも正常に動作しない。(汗)
部屋では大抵FMラジオやCDを聞きながら作業している。別に何も音を出さなくても問題無いのだけれど、無いと何となく寂しい。「また同じラジカセを仕入れるのは情けないしなぁ...そう言えば、あのラジカセって今も手に入るんだろうか?」
ネットで探して見るとあるにはあるが、整備済みだと「何それ?」って突っ込みたくなるような金額で売られている。未整備品は外観によって金額に大きな差があるけれど、一応ラジオが使える程度なら1万弱が相場みたいだ。「じゃぁ、一寸探してみよう!」
数日後「音は一応出るけど古いのでジャンク扱い」というのを落札、数日後自宅に送られてきたのが、これ。
ソニーのラジカセ「エナジー99」(型番はCFS-99)である。
ソニーのラジカセのトップモデルだけあって、定価84,800円!幅594mm×高さ347mm×奥行き169mm(最大突起部含む、把手含まず)・重さ10.8kg(カタログ値)と、巨大な物。ウーファーの口径は20cmで、下手なミニコンポより大きい。発売時のキャッチフレーズはその大きさを意識したのか「山だ、響く山だ、ついに山が来た」だった。
本当はこの機種が欲しかったのだが、親から「高過ぎる」と拒否されてTRK-8180に落ち着いた、と言う経緯がある。だから、あえてこの機種にした、という訳だ。
ラジカセだから難しい部分は何もない。でも、拙者自身も初めての機種なので、まずは操作系をチェックする。
左端から、緑のボタンが電源スイッチ、音量と左右のバランス、高音と低音を調整するイコライザー、エコー(マイク用?)、
マイク1、マイク2、
テープ、LINE入力、
ラジオと選局ダイアル、という順に並んでいる。
前面中央にカセット操作部があり、その下にヘッドフォン出力端子とマイク端子2つがある。
背面には外部マイク入力、LINE/PHONO入力、LINE出力がある。
アンテナ部に、FMラジオアンテナの同軸ケーブル用接続端子もある。
どういう場所で使われていたのかは分からないが、かなりタバコ臭がするし全体的に汚れているので、軽く清掃した。
飲食店で使わずに持ち帰った紙製おしぼりで半分ほどを拭いたら、真っ黒になった(ちなみに上側は未使用の状態)。
アンテナ先端の樹脂部品もかなり茶色くなっていた。右が拭く前・左が拭いた後。
カセットテープ以外の動作を一通りチェックしてみたら、電源ケーブルをコンセントに挿しただけでカセット部のキャンプスタン・モーターが回り始めて止まらない。音を出すのに支障は無いけれど、無駄に電力を消費してしまうのは問題だ。
それ以外は動作に問題は無い。出て来る音は高音部がだいぶ削られているけれど、モコモコになるほどではない。
早速CDプレーヤーD-265を接続して使っているけれど、やっぱり高音部の抜けが悪いのが引っかかる。それに、電源を切った状態でもモーターの回転音がするので、意外と五月蠅い。うーん、こいつも要修理...かなぁ???
噴飯物 [雑感]
昨日地元自治体の広報誌が郵便ポストに入っていたので、今日全部を隅から隅まで読んだ。その中に職員採用のお知らせが入っていた。
今どきの、恐らくは国から県を通して通知があったのであろう事が推測される「地域DXを推進する」人を募集するんだとな。
それなりの知識がある人が見れば、これだけ見ても「お前は莫迦か阿保か間抜けか戯けか?」と腹を抱えて笑い転げるような文言なのだけれど、一応公式な人材募集なのであるから(恐らくは)担当レベルから市長まで複雑な階層全てを通り抜けた決裁文書で決定した文言であるのは間違い無い。
# 公務員はこれだから...(以下、自粛)
何せ5年間も契約職員の課長補佐としてこの自治体に雇われていたから、その裏事情は文章を見ただけでも全て透けて見えて来る。
もっと言えば、こんな募集が出て来たのにはそれなりの理由があっての事。
一言で言えば、「今まで(大手メーカでシステムエンジニア経験があって)IT関係を担っていた職員が定年で居なくなっちゃうから、補充せにゃアカンがな」という、背に腹は代えられぬ事情があるのであーるっ。(爆笑)
民間企業であれば、定年というのは事前に分かってるんだから数年前からそれなりの準備をするのが当たり前だし、急な退職も考えられるのだから事前の対応を平時から考える。だけど、役所という組織は単年度決算の弊害なのか、問題となるその年にならないと動き出さないという事情がある。
# 誤解しないで欲しいのだが「動き出せない」訳では無い。
言い方を換えると、数年先を見越した動きを考える事すら出来ない、情けない組織なのである。
# 民間なら間違い無く潰れるよなー。
因みに職務に関しての記述は、極めて簡潔かつ曖昧だ。
「市民がメリットを実感できる」なんて表現を使う事自体が、拙者に言わせれば「大きな間違い」である。
# その理由は...書けません。コンサルタントの仕事を奪っちゃうので。(^^;)
応募資格は、恐らくは元国策企業から唆されたであろうと思われる当たり障りの無い表現に留められている。
任期が短いのは、予算による都合なのか、それとも国の補助金による都合なのかは、この文章では分からない。だが、恐らくは後者だろうと思う。
おまけに、こんな文章が書かれている。
因みに、拙者ならこの全てに該当する。けれど、所謂一般的なSE(サウンド・エフェクト...じゃなくてシステム・エンジニア、別称「鉛筆土方」)だと、3番目又は5番目の項目を満たせない人が多い、いや、殆ど満たせないのでは?と思う。
「この募集で、何が問題なん?」と思われる方も多いかも知れないが、拙者が激しく問題と思う点が一つある。それは「年収に関する表記が全く無い」事である。
システム・エンジニアに限らず、「技術職」は日々の研鑽と経験の積み上げが全て。
口が上手いとか人付き合いが上手とかプレゼンテーションが上手いとか、というのが重要視される面もあるかも知れないが、そんなのは些細な話で本質を考えればどーでも良い事でしかない。
因みに、日々の研鑽にはそれなりの費用が必要だ。自分でセミナー・教育受講、或いは場合によってはコンサルティングを受けて自己成長に勤しむのには、必ず金と時間が掛かる。特に、IT関係は日進月歩どころか「秒進分歩」、常に新しい技術を追いかけていないと瞬く間に時代遅れになってしまう。
# 拙者も現役時代にはRFCをリアルで全部追ってましたからねぇ、エエ。
だから、ある程度の収入が見込めないと、技術者としては生きていけない。 もっとハッキリ言えば、年収額で技術レベルが決まってしまうのである。
だから、年収額を明示せずに募集するなんて、「詐欺師でも良いから来て欲しい」と喧伝しているようなものなのだ。
募集要項では任期開始が今年10月だし、申し込みの期間は1カ月程度しかない。という事は、選考期間として使えるのは事実上2カ月程度しかない。
広報誌で募集しているという事は、市のサイトでも募集内容は掲載しているだろうから
# 面倒だし馬鹿馬鹿しいんで一々確認しません。
応募者はそれなりに居るのかも知れないが...まーぁ、「頑張ってちょ」としか言えないかなー。幸運を祈る!って、あり得ないけどねー。(核爆)
今どきの、恐らくは国から県を通して通知があったのであろう事が推測される「地域DXを推進する」人を募集するんだとな。
それなりの知識がある人が見れば、これだけ見ても「お前は莫迦か阿保か間抜けか戯けか?」と腹を抱えて笑い転げるような文言なのだけれど、一応公式な人材募集なのであるから(恐らくは)担当レベルから市長まで複雑な階層全てを通り抜けた決裁文書で決定した文言であるのは間違い無い。
# 公務員はこれだから...(以下、自粛)
何せ5年間も契約職員の課長補佐としてこの自治体に雇われていたから、その裏事情は文章を見ただけでも全て透けて見えて来る。
もっと言えば、こんな募集が出て来たのにはそれなりの理由があっての事。
一言で言えば、「今まで(大手メーカでシステムエンジニア経験があって)IT関係を担っていた職員が定年で居なくなっちゃうから、補充せにゃアカンがな」という、背に腹は代えられぬ事情があるのであーるっ。(爆笑)
民間企業であれば、定年というのは事前に分かってるんだから数年前からそれなりの準備をするのが当たり前だし、急な退職も考えられるのだから事前の対応を平時から考える。だけど、役所という組織は単年度決算の弊害なのか、問題となるその年にならないと動き出さないという事情がある。
# 誤解しないで欲しいのだが「動き出せない」訳では無い。
言い方を換えると、数年先を見越した動きを考える事すら出来ない、情けない組織なのである。
# 民間なら間違い無く潰れるよなー。
因みに職務に関しての記述は、極めて簡潔かつ曖昧だ。
「市民がメリットを実感できる」なんて表現を使う事自体が、拙者に言わせれば「大きな間違い」である。
# その理由は...書けません。コンサルタントの仕事を奪っちゃうので。(^^;)
応募資格は、恐らくは元国策企業から唆されたであろうと思われる当たり障りの無い表現に留められている。
任期が短いのは、予算による都合なのか、それとも国の補助金による都合なのかは、この文章では分からない。だが、恐らくは後者だろうと思う。
おまけに、こんな文章が書かれている。
因みに、拙者ならこの全てに該当する。けれど、所謂一般的なSE(サウンド・エフェクト...じゃなくてシステム・エンジニア、別称「鉛筆土方」)だと、3番目又は5番目の項目を満たせない人が多い、いや、殆ど満たせないのでは?と思う。
「この募集で、何が問題なん?」と思われる方も多いかも知れないが、拙者が激しく問題と思う点が一つある。それは「年収に関する表記が全く無い」事である。
システム・エンジニアに限らず、「技術職」は日々の研鑽と経験の積み上げが全て。
口が上手いとか人付き合いが上手とかプレゼンテーションが上手いとか、というのが重要視される面もあるかも知れないが、そんなのは些細な話で本質を考えればどーでも良い事でしかない。
因みに、日々の研鑽にはそれなりの費用が必要だ。自分でセミナー・教育受講、或いは場合によってはコンサルティングを受けて自己成長に勤しむのには、必ず金と時間が掛かる。特に、IT関係は日進月歩どころか「秒進分歩」、常に新しい技術を追いかけていないと瞬く間に時代遅れになってしまう。
# 拙者も現役時代にはRFCをリアルで全部追ってましたからねぇ、エエ。
だから、ある程度の収入が見込めないと、技術者としては生きていけない。 もっとハッキリ言えば、年収額で技術レベルが決まってしまうのである。
だから、年収額を明示せずに募集するなんて、「詐欺師でも良いから来て欲しい」と喧伝しているようなものなのだ。
募集要項では任期開始が今年10月だし、申し込みの期間は1カ月程度しかない。という事は、選考期間として使えるのは事実上2カ月程度しかない。
広報誌で募集しているという事は、市のサイトでも募集内容は掲載しているだろうから
# 面倒だし馬鹿馬鹿しいんで一々確認しません。
応募者はそれなりに居るのかも知れないが...まーぁ、「頑張ってちょ」としか言えないかなー。幸運を祈る!って、あり得ないけどねー。(核爆)
赤レフィル [雑感]
日頃から使っている赤のボールペンは、メモを書いている最中に突然インクがかすれて書けなくなった。
「あれ?何で突然書けなくなったん?」と思い、芯を取り出して見たら...ありゃま、インク無いじゃん。(汗)
このボールペンは、母がホームセンターで購入してきた物。かなり前の話なので何時頃購入したのかは覚えていないが、少なくとも3年以上は経っていると思う。以前使っていた赤のインクが無くなったのと、母が「新しいのがもう一本あるから使って良いよ」と言うので、貰い受けて使っていた。拙者の場合、赤ボールペンの使用頻度はそんなに多くないのだけれど、大体2年前後で使い切っているみたいだ。
取りあえず赤鉛筆でその場をしのいだが、無いと何かと不便。大型書店かホームセンターでレフィルを買って来ようかと思ったが、このタイプは芯が細い為インク量が少ないので同じような年数でまた無くなってしまうだろう。
「そういえば、インクを使い切ったボールペンがあったよなぁ?」机の引き出しをガサゴソ探して出て来たのが、KTMジャパンから貰ったボールペン。
既にインクは使い切ったけれど、レフィルを替えれば使えるのでそのまま保管(というか放置)していた。
このレフィルは「G2タイプ」と呼ばれているパーカー互換タイプの物。細い芯のタイプと比べると、長さは半分だが太さが倍あるので、単純計算でインクの量が2倍ある。
しかし、自宅周辺の本屋・文房具屋やホームセンターでは何故か店頭には置いていない。10㎞ほど離れた大型書店も、以前は置いていたのに今は店頭から赤と青は消えていて、黒のレフィルしかない。送料とレフィルの価格が同じ位になっちゃうけれど、仕方ないので通販で取り寄せた。
選んだのはScheider(シュナイダー)のゲルインク・タイプ。国産品を含めて他にも選択肢はあったのだけれど、在庫が無かったり太字タイプだったりして、細字タイプではこのレフィルが一番安価だったからだ。
古いレフィルとサイズを比べて見ると、当然の事ながら同じ。
樹脂が透明なので、インク残量が分かり易いのが良い。早速入れ替えた。
これで当分の間はインクの心配は要らない。目出度しメデタシ、である。
「あれ?何で突然書けなくなったん?」と思い、芯を取り出して見たら...ありゃま、インク無いじゃん。(汗)
このボールペンは、母がホームセンターで購入してきた物。かなり前の話なので何時頃購入したのかは覚えていないが、少なくとも3年以上は経っていると思う。以前使っていた赤のインクが無くなったのと、母が「新しいのがもう一本あるから使って良いよ」と言うので、貰い受けて使っていた。拙者の場合、赤ボールペンの使用頻度はそんなに多くないのだけれど、大体2年前後で使い切っているみたいだ。
取りあえず赤鉛筆でその場をしのいだが、無いと何かと不便。大型書店かホームセンターでレフィルを買って来ようかと思ったが、このタイプは芯が細い為インク量が少ないので同じような年数でまた無くなってしまうだろう。
「そういえば、インクを使い切ったボールペンがあったよなぁ?」机の引き出しをガサゴソ探して出て来たのが、KTMジャパンから貰ったボールペン。
既にインクは使い切ったけれど、レフィルを替えれば使えるのでそのまま保管(というか放置)していた。
このレフィルは「G2タイプ」と呼ばれているパーカー互換タイプの物。細い芯のタイプと比べると、長さは半分だが太さが倍あるので、単純計算でインクの量が2倍ある。
しかし、自宅周辺の本屋・文房具屋やホームセンターでは何故か店頭には置いていない。10㎞ほど離れた大型書店も、以前は置いていたのに今は店頭から赤と青は消えていて、黒のレフィルしかない。送料とレフィルの価格が同じ位になっちゃうけれど、仕方ないので通販で取り寄せた。
選んだのはScheider(シュナイダー)のゲルインク・タイプ。国産品を含めて他にも選択肢はあったのだけれど、在庫が無かったり太字タイプだったりして、細字タイプではこのレフィルが一番安価だったからだ。
古いレフィルとサイズを比べて見ると、当然の事ながら同じ。
樹脂が透明なので、インク残量が分かり易いのが良い。早速入れ替えた。
これで当分の間はインクの心配は要らない。目出度しメデタシ、である。
シュナイダー Schneider ボールペン 替え芯 ゲルインキ ボールペン リフィル ゲリオン Gelion+ ペン先:0.5mm インクカラー:レッド 1箱10本セット 103922
- 出版社/メーカー: Schneider
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LEDシーリングライトの交換 [雑感]
一階の部屋で使っていたLEDシーリングライトが点灯しなくなったので外した。
NECのHLDCD1212と言う製品で、2013年3月製造らしい。
居間はほぼ終日点灯させているけれど、この部屋は母が縫物などをする時に点ける程度で、居間ほど激しい使い方ではなかった。けれど、10年も使えたのだから、まぁ良しとしよう。
外した序でに分解してみる。まず外側のカバーを外す。
LEDは乳白色の拡散板の下にある。
中央のカバーを外すと制御回路が見える。
制御回路の外側にある拡散板を外すと、LED基板毎外れた。
LED基板はネジ止めではなくて樹脂の爪で固定されている。
指で簡単に外せた。
見た感じではLED側に不具合は無さそうだ。
制御基板を裏返したら、チップ部品がびっしり。
やや目立つ黒いチップはRENESAS(ルネサス)の16ビット・シングルチップマイコンRL78/I1AファミリのR5F107AC(フラッシュROM32KB、データ・フラッシュ4KB、RAM2KB)だ。
ネット上にこのチップのユーザーズマニュアルがあったので試しにダウンロードしたら、ハードウェア編だけで1184ページあった。こりゃー読むのが大変だわ。(滝汗)
回路図とロジックアナライザがあれば故障個所を特定できる。だけど、ロジックアナライザは高価で到底手を出せない。分解したら素材別に分けてゴミに出す事に。
自宅から自転車で行ける範囲のホームセンターや家電量販店を回り、新たなシーリングライトを物色する。
部屋の大きさと天井の高さ、それに母が裁縫などの細かい作業をする事を考えると4800ルーメン以上の明るさが欲しい。となると、8畳用以上向けを選ぶ事になる。同じルーメン数でも消費電力は結構違うし、スマホ連動などの機能が付くと割高になる。
余分な機能は要らないので、シンプルで消費電力少な目の機種を選んだ。
早速天井に取り付ける。
以前のライトとほぼ同じデザインなので、見た感じでは交換したようには見えない。
LEDシーリングライトを交換したので、今後10年位は何もしなくて良い筈。目出度しメデタシ、である。
NECのHLDCD1212と言う製品で、2013年3月製造らしい。
居間はほぼ終日点灯させているけれど、この部屋は母が縫物などをする時に点ける程度で、居間ほど激しい使い方ではなかった。けれど、10年も使えたのだから、まぁ良しとしよう。
外した序でに分解してみる。まず外側のカバーを外す。
LEDは乳白色の拡散板の下にある。
中央のカバーを外すと制御回路が見える。
制御回路の外側にある拡散板を外すと、LED基板毎外れた。
LED基板はネジ止めではなくて樹脂の爪で固定されている。
指で簡単に外せた。
見た感じではLED側に不具合は無さそうだ。
制御基板を裏返したら、チップ部品がびっしり。
やや目立つ黒いチップはRENESAS(ルネサス)の16ビット・シングルチップマイコンRL78/I1AファミリのR5F107AC(フラッシュROM32KB、データ・フラッシュ4KB、RAM2KB)だ。
ネット上にこのチップのユーザーズマニュアルがあったので試しにダウンロードしたら、ハードウェア編だけで1184ページあった。こりゃー読むのが大変だわ。(滝汗)
回路図とロジックアナライザがあれば故障個所を特定できる。だけど、ロジックアナライザは高価で到底手を出せない。分解したら素材別に分けてゴミに出す事に。
自宅から自転車で行ける範囲のホームセンターや家電量販店を回り、新たなシーリングライトを物色する。
部屋の大きさと天井の高さ、それに母が裁縫などの細かい作業をする事を考えると4800ルーメン以上の明るさが欲しい。となると、8畳用以上向けを選ぶ事になる。同じルーメン数でも消費電力は結構違うし、スマホ連動などの機能が付くと割高になる。
余分な機能は要らないので、シンプルで消費電力少な目の機種を選んだ。
早速天井に取り付ける。
以前のライトとほぼ同じデザインなので、見た感じでは交換したようには見えない。
LEDシーリングライトを交換したので、今後10年位は何もしなくて良い筈。目出度しメデタシ、である。
アイリスオーヤマ LEDシーリングライト 調光/調色 ~12畳 (日本照明工業会基準) 5200lm リモコン 省エネ 取付簡単 切タイマー SeriesL CEA-2012DL
- 出版社/メーカー: アイリスオーヤマ
- メディア: -
コタツ更新 [雑感]
居間で使っている細長いコタツはいつ買ったのか覚えてないほど古い。
長年の使用で天板の透明な樹脂があちこち割れて剥がれて来た為、3年ほど前に樹脂を全部剥がした。そのままでは手がチクチクするので、ホームセンターで接着剤付きビニールシートを買ってきて貼ってある。
ところが、今年に入って、貼ってあるビニールシートが波打ってきた上に、透明度が落ちて少し白濁したような部分も出て来た為、初春から妻が「もう買い替えようよぉ」と口にするようになった。画像では分かり難いけれど、僅かに白くなっている部分が不透明になって波打っている。
コタツの配線も、スイッチの故障や断線で3回ほど交換している。一回交換すれば4年ほどは問題無く使えていた事を考えると、少なくとも12年以上使っていたと思う。
現在、居間にデスクトップPCとディスプレイ2画面を置いて仕事しているが、ディスプレイを置くにはコタツの長さが足りない。しかし、狭い部屋だし、食堂も兼ねているので、もう一つ机を置くのは不可能。そこで、父が昭和末期に購入して使っていた小振りな文机を継ぎ足し、その机の上にPCを置いていた。
そうなると、夏の間は問題無いのだが、冬にコタツ布団を入れると文机とコタツの間の掃除がし難いとか、文机までコタツ布団を引っ張ると長さが足りないとか、色々問題があった。なので、布団の下にずらした毛布を2枚敷いて文机の方まで伸ばしたりして無理矢理使っていた。
既に春なので、どのお店でも展示はしていない。で、ネットで探す事に。探す条件は2つ。
一つ目は夏も普通の机として使える事、2つ目は文机無しにして大きなコタツにする事、である。
コタツの長辺に文机の幅を足すと165cm。このサイズのコタツは無い訳では無いが、高価格帯の物ばかり。180cmが基本となる国内のサイズからすると、やや特殊な大きさになるみたい。
あーでもないこーでもないと散々調べた結果、180cmサイズのコタツを購入、半日ほど大騒ぎして何とか入れ替えた。文机は撤去し、その引き出しに入れていた物は全て自分が使っている部屋へ移動させ、バックアップ用のUSBメモリ2本はディスプレイ台の上に置く事にした。
また、文机のディスプレイ間や机の端にゴチャゴチャ小物を置いていたけれど、それも全部撤去してとってもスッキリした。
新しいコタツに入れ替えたのがきっかけで居間の一寸した整理にもなり、見た目もゴチャゴチャした感じが無くなった。こうなると、今度はデスクトップPCがやたらと目立つようになってくる。
デスクトップPCを別の部屋に移動させても良いのだけれど、移動先の部屋も冷暖房を考えなければならなくなる。PCの前に張り付いて仕事している時間が結構長い為、寒さはタップリ着込んで凌ぐ事は出来そうだが、近年の厳しい暑さだと扇風機だけで夏を乗り切るのは難しい。
当分の間はデスクトップPCのままだけど、いずれはノートPCへ変更も考える方が良いのかも知れない。
長年の使用で天板の透明な樹脂があちこち割れて剥がれて来た為、3年ほど前に樹脂を全部剥がした。そのままでは手がチクチクするので、ホームセンターで接着剤付きビニールシートを買ってきて貼ってある。
ところが、今年に入って、貼ってあるビニールシートが波打ってきた上に、透明度が落ちて少し白濁したような部分も出て来た為、初春から妻が「もう買い替えようよぉ」と口にするようになった。画像では分かり難いけれど、僅かに白くなっている部分が不透明になって波打っている。
コタツの配線も、スイッチの故障や断線で3回ほど交換している。一回交換すれば4年ほどは問題無く使えていた事を考えると、少なくとも12年以上使っていたと思う。
現在、居間にデスクトップPCとディスプレイ2画面を置いて仕事しているが、ディスプレイを置くにはコタツの長さが足りない。しかし、狭い部屋だし、食堂も兼ねているので、もう一つ机を置くのは不可能。そこで、父が昭和末期に購入して使っていた小振りな文机を継ぎ足し、その机の上にPCを置いていた。
そうなると、夏の間は問題無いのだが、冬にコタツ布団を入れると文机とコタツの間の掃除がし難いとか、文机までコタツ布団を引っ張ると長さが足りないとか、色々問題があった。なので、布団の下にずらした毛布を2枚敷いて文机の方まで伸ばしたりして無理矢理使っていた。
既に春なので、どのお店でも展示はしていない。で、ネットで探す事に。探す条件は2つ。
一つ目は夏も普通の机として使える事、2つ目は文机無しにして大きなコタツにする事、である。
コタツの長辺に文机の幅を足すと165cm。このサイズのコタツは無い訳では無いが、高価格帯の物ばかり。180cmが基本となる国内のサイズからすると、やや特殊な大きさになるみたい。
あーでもないこーでもないと散々調べた結果、180cmサイズのコタツを購入、半日ほど大騒ぎして何とか入れ替えた。文机は撤去し、その引き出しに入れていた物は全て自分が使っている部屋へ移動させ、バックアップ用のUSBメモリ2本はディスプレイ台の上に置く事にした。
また、文机のディスプレイ間や机の端にゴチャゴチャ小物を置いていたけれど、それも全部撤去してとってもスッキリした。
新しいコタツに入れ替えたのがきっかけで居間の一寸した整理にもなり、見た目もゴチャゴチャした感じが無くなった。こうなると、今度はデスクトップPCがやたらと目立つようになってくる。
デスクトップPCを別の部屋に移動させても良いのだけれど、移動先の部屋も冷暖房を考えなければならなくなる。PCの前に張り付いて仕事している時間が結構長い為、寒さはタップリ着込んで凌ぐ事は出来そうだが、近年の厳しい暑さだと扇風機だけで夏を乗り切るのは難しい。
当分の間はデスクトップPCのままだけど、いずれはノートPCへ変更も考える方が良いのかも知れない。