ギターが増えた [音楽]
先日、自宅にちょっと大きな荷物が届いた。
梱包を解くとソフトケースが出て来る。
入っていたのは、1980年はに発売されたアリアプロ2のエレキギターRS-X70である。
構造はスルーネックになっていて、当時は高価格帯に位置していた。
店頭では現在でも結構な高額で販売されているが、この個体は「音が出ない」と理由で安価に売られていた。だから、何とか入手できたのである。
上位機種のRS-X80はピックアップがディマジオのデュアルサウンドが使われているが、このRS-X70にはオリジナル・ピックアップの「NEW EXTRA3」が使われている。
米アレンビック社のギターに触発されて作られたモデルと言われているだけあって、ツマミやスイッチが沢山付いている。
上位機種RS-X80だと、3個並ぶトグルスイッチの一番下が他の二つと同じシルバーになっている。
ヘッドはアリアプロ2のオリジナル形状だ。
このデザインは現アトランシア代表・林信秋氏が生み出した物。「フェンダーやギブソンのコピーでない、日本オリジナルを作る」という意気込みが感じられる素晴らしいデザインだと思う。
ヘッド部に書かれている部分を拡大すると、アリアプロ2のオリジナルへの拘りが見えてくる。
ちなみに、この機種より前のモデルには林信秋氏を表す「H.Noble」の文字が入っていた。
ボディ裏側には蓋が2か所あり、大きい方は回路が、小さい方には9V電池二つが入る。
40年ほど前の物だけあって、新品時はゴールドだったのが錆で退色して小汚いシルバーになっている。
裏蓋を開けると、こんな感じ。
まず、電池の電圧を調べる。
片方が1.2Vに満たない電圧しかない。これでは回路は正常に動作しない。
電圧の低い方の電池は液漏れを起こしていたみたいで、電池スナップの電極が痛んでいた。
回路部には、ビニルテープでぐるぐる巻きにされた基盤が入っている。
スイッチやボリュームの数が多い為、配線も複雑に入り組んでいる。
テープを取り去って中を確認する。
劣化しやすい電解コンデンサーは使わず、高価なタンタルコンデンサが使われている。流石、当時の高級機だけの事はある。
試しに、電池を正常品と交換、ギターアンプに接続して音を確認してみた。
ピックアップ切替スイッチを動かす時に一瞬音が出たりする場合もあるが、やっぱり音は出ない。でも、一瞬でも音が出るのだから、どこか接触不良があるようだ。金属部は錆が目立つし、フィンガーボードも汚れているので、まずはオーバーホールする方が良さそうだ。
梱包を解くとソフトケースが出て来る。
入っていたのは、1980年はに発売されたアリアプロ2のエレキギターRS-X70である。
構造はスルーネックになっていて、当時は高価格帯に位置していた。
店頭では現在でも結構な高額で販売されているが、この個体は「音が出ない」と理由で安価に売られていた。だから、何とか入手できたのである。
上位機種のRS-X80はピックアップがディマジオのデュアルサウンドが使われているが、このRS-X70にはオリジナル・ピックアップの「NEW EXTRA3」が使われている。
米アレンビック社のギターに触発されて作られたモデルと言われているだけあって、ツマミやスイッチが沢山付いている。
上位機種RS-X80だと、3個並ぶトグルスイッチの一番下が他の二つと同じシルバーになっている。
ヘッドはアリアプロ2のオリジナル形状だ。
このデザインは現アトランシア代表・林信秋氏が生み出した物。「フェンダーやギブソンのコピーでない、日本オリジナルを作る」という意気込みが感じられる素晴らしいデザインだと思う。
ヘッド部に書かれている部分を拡大すると、アリアプロ2のオリジナルへの拘りが見えてくる。
ちなみに、この機種より前のモデルには林信秋氏を表す「H.Noble」の文字が入っていた。
ボディ裏側には蓋が2か所あり、大きい方は回路が、小さい方には9V電池二つが入る。
40年ほど前の物だけあって、新品時はゴールドだったのが錆で退色して小汚いシルバーになっている。
裏蓋を開けると、こんな感じ。
まず、電池の電圧を調べる。
片方が1.2Vに満たない電圧しかない。これでは回路は正常に動作しない。
電圧の低い方の電池は液漏れを起こしていたみたいで、電池スナップの電極が痛んでいた。
回路部には、ビニルテープでぐるぐる巻きにされた基盤が入っている。
スイッチやボリュームの数が多い為、配線も複雑に入り組んでいる。
テープを取り去って中を確認する。
劣化しやすい電解コンデンサーは使わず、高価なタンタルコンデンサが使われている。流石、当時の高級機だけの事はある。
試しに、電池を正常品と交換、ギターアンプに接続して音を確認してみた。
ピックアップ切替スイッチを動かす時に一瞬音が出たりする場合もあるが、やっぱり音は出ない。でも、一瞬でも音が出るのだから、どこか接触不良があるようだ。金属部は錆が目立つし、フィンガーボードも汚れているので、まずはオーバーホールする方が良さそうだ。
ジュリエッタのエアコン修理(その1) [雑感]
先日、気温が35度を超える中を必要に迫られてジュリエッタで出掛けた。気温が気温なので、当然エアコンを使う。
市内数か所を回って用件を済ませた帰り道、エアコンを付けたが「あれ?全然冷えないじゃん。(汗)」10分経っても一向に冷える気配がない。「よりによって、こんな暑い日にエアコンが動かないなんて。」仕方ないので、窓を開けて熱風を受けながら自宅に戻った。
翌日夕方、再び市内へ出る用件があり、ジュリエッタに乗り込んで恐る恐るエアコンを使ってみた。すると、「ありゃ?冷えるじゃん。」ただ、冷え方はいつもと違ってかなり弱い。
数日後、再びジュリエッタに乗った時にエアコンを使ってみると、一応効くんだが、何とも頼りない感じ。やはりいつもより冷えるのに時間がかかる。「こりゃ、修理しなきゃダメか。」ロッソコルサ(伊那市)に持ち込む事に。
23日、朝6時に自宅を出発。近くのスタンドで給油してから県道183を進む。朝早いのに気温は30度近くある。交通量は少なくてスイスイと進む。犬山市街を通り抜け県道461に入ると交通量が徐々に増えるが、小牧東ICへと曲がって行く車が多く、ICを過ぎたら交通量はぐっと減った。
国道19に出ると流石に交通量は多いが、朝早い時間なのでトラック等の業務用車両が多くて全体の流れはゆっくりしている。多治見市内に入ると頻繁に交差点で止められてしまい、時間がかかる割には進まない。
土岐市街を抜けると交通量が減り、信号の数もやや少なくなる。恵那や中津川などの市街地に入ると交通量が増えるけれど、郊外に出てしまうと交通量は少なくて走り易い。落合川を渡る頃には交通量はとても少なくなる。信号も一気に少なくなるので、とても走り易い。
トイレに行きたくなったので、道の駅賤母に立ち寄る。
まだ8時前だが、既に観光客らしき人達で売店は賑わっていた。スッキリしたら再び走り出す。
国道19は信号が少ないので順調に進むし、走っていても気持ち良い。ただ、道幅の狭い所が多くて殆どの区間ではみ出し禁止なので、巡航速度の遅い車が居ても抜く事ができないのが玉に瑕。寝覚ノ床手前から長い上り坂になるので、ここで前方を走っていた遅い車(大型トラック数台)をごぼう抜きにした。
いつもなら坂を上った勢いでそのまま結構な速度で走り続ける事が多いのだが、前方を走る地元の車と思しきセダンがひのきの里植松第一トンネルの少し手前で徐々に速度を落としてゆく。「ん?どうしたんだろう??」と思いながら追走していたら、トンネル手前に警官が折り畳み椅子に座っているのが見えた。「あっ、ネズミ捕り!」
トンネル手前に陸橋がかかっている為、トンネルの入り口は陸橋を通り過ぎないと見えない。そこを狙ってネズミ捕りしているようだ。トンネルを抜けたら、左側に警官が突っ立ってて来る車を見ていたら、ネズミ捕りに引っかかった車はこの警官が引き込むんだろう。クワバラクワバラ。ネズミ捕りを無事通過して進む。
交通量は相変わらず少なく、信号も少ないので順調に進...「ん?何で急に速度落としたの??」
前方を走る先ほどのセダンが再び速度を少し落とした。「え?まさか...」と思ったら、やっぱりネズミ捕りだった。場所は国道361との交差点から少し北上した所。国道が緩くカーブしていてドライバーから見辛い位置に警官が座っていた。いやぁ、危なかった。クワバラクワバラ。
更に進んで国道361へと右折する。少し進むと、対面通行の信号で待たされる。
1分ほど待って無事通過。通り抜ける際にチラッと見たら、路面は崩落した土砂で埋まったままで復旧には相当な時間がかかりそうだった。
長いトンネルを抜けて下っていくと伊那市街に入る。交通量は少ないし、信号も多くないので走り易い。県道88・県道87・国道153・県道19と進んで、9時半過ぎに無事ロッソコルサに到着。ここまでの走行距離は174.3km。
K社長に症状を具体的にお話しする。
この車を購入して以来、一度もエアコン関係は触っていない。K社長によると、国産でも6年程度経つと冷媒のガスが抜けたりする事もあるそう。漏れたとしたら漏れている個所を探る必要があるし、漏れではないのならエバポレーターなどあちこちにある機材を調べなければならないし、真空引きの作業も必要になったりするので、それなりに時間がかかるらしい。
修理に関する話が終わった後も雑談していたら、YさんやAさんなどのメンバーが三々五々と集まってきた。なんでも今日は昼食を食べに行く予定にしていたそうで「時間あるのなら一緒に来る?」と誘って戴いたので「勿論!」と即答。(笑)
12時半過ぎにワンボックスに全員乗り込み、K社長の運転で出発する。
伊北ICから中央道に入って岡谷JCTで長野道の塩尻北ICで降り、どこをどう走ったのかは分からないが、四川乃華・南松本店に到着。色々な料理を頼んで皆さんで分けて食べる。
拙者が選んだのはエビ入りのあんかけ焼きそば。
どれも十分美味しい。食べ終わったら、再びワンボックスに乗り込んでロッソコルサに戻った。
その後も皆さんで談笑していたが、17時半近くになったので代車エッセを借りて帰る事に。あえて遅い目の時間に帰るのは、中央道のリニューアル工事で渋滞が避けられない為、遅くに出発すれば渋滞が少なくなっているだろうという読みがあったから。
帰り際にK社長曰く「距離走っちゃってるから、100km/hとか出さないようにしてね」と。まーぁ、帰るだけだから急ぐ必要ないしね。
朝来た道を戻って伊那ICから中央道に入る。交通量はそこそこあるが走り難いほどではない。
遅いトラックがあると追越車線に入って抜くのだけれど、バックミラーで追越車線に車が走って来ない事を確認してから追い越しに取り掛かる。そうしないと、すぐ追いつかれてしまうからだ。加速もエンジンになるべく負荷をかけないよう緩やかにして進む。
追い越したら直ぐ走行車線に戻り、速度も法定速度前後に落として進む。そんな走り方だから、ネズミ捕りや覆面パトを気にする必要は全く無い。その代わり、時間がかかる。
飯田山本ICを過ぎてリニューアル工事の区間に入ると、一車線減るだけなのに何故か10km/h前後まで速度が落ち、少し進んでは止まって、というのを繰り返す。通常なら数分で抜ける区間を30分以上掛けて走る羽目に。抜けたら再び流れが良くなった。
恵那山トンネルを抜けたら数分雨に降られたけれど、降られたのはそこだけ。交通量はそこそこ多い状態だが、走り難い程ではなく、時々遅いトラックを抜く程度。
小牧東ICで降り、朝来た道を戻る。19時をだいぶ過ぎて、犬山市街走行中にどんどん暗くなってきた。
20時少し前に無事自宅に到着。オドメーターによる走行距離は159㎞。
夏にエアコンが使えないのは困るので修理する事にしたが、一寸時間がかかりそうだね...。
(続く)
市内数か所を回って用件を済ませた帰り道、エアコンを付けたが「あれ?全然冷えないじゃん。(汗)」10分経っても一向に冷える気配がない。「よりによって、こんな暑い日にエアコンが動かないなんて。」仕方ないので、窓を開けて熱風を受けながら自宅に戻った。
翌日夕方、再び市内へ出る用件があり、ジュリエッタに乗り込んで恐る恐るエアコンを使ってみた。すると、「ありゃ?冷えるじゃん。」ただ、冷え方はいつもと違ってかなり弱い。
数日後、再びジュリエッタに乗った時にエアコンを使ってみると、一応効くんだが、何とも頼りない感じ。やはりいつもより冷えるのに時間がかかる。「こりゃ、修理しなきゃダメか。」ロッソコルサ(伊那市)に持ち込む事に。
23日、朝6時に自宅を出発。近くのスタンドで給油してから県道183を進む。朝早いのに気温は30度近くある。交通量は少なくてスイスイと進む。犬山市街を通り抜け県道461に入ると交通量が徐々に増えるが、小牧東ICへと曲がって行く車が多く、ICを過ぎたら交通量はぐっと減った。
国道19に出ると流石に交通量は多いが、朝早い時間なのでトラック等の業務用車両が多くて全体の流れはゆっくりしている。多治見市内に入ると頻繁に交差点で止められてしまい、時間がかかる割には進まない。
土岐市街を抜けると交通量が減り、信号の数もやや少なくなる。恵那や中津川などの市街地に入ると交通量が増えるけれど、郊外に出てしまうと交通量は少なくて走り易い。落合川を渡る頃には交通量はとても少なくなる。信号も一気に少なくなるので、とても走り易い。
トイレに行きたくなったので、道の駅賤母に立ち寄る。
まだ8時前だが、既に観光客らしき人達で売店は賑わっていた。スッキリしたら再び走り出す。
国道19は信号が少ないので順調に進むし、走っていても気持ち良い。ただ、道幅の狭い所が多くて殆どの区間ではみ出し禁止なので、巡航速度の遅い車が居ても抜く事ができないのが玉に瑕。寝覚ノ床手前から長い上り坂になるので、ここで前方を走っていた遅い車(大型トラック数台)をごぼう抜きにした。
いつもなら坂を上った勢いでそのまま結構な速度で走り続ける事が多いのだが、前方を走る地元の車と思しきセダンがひのきの里植松第一トンネルの少し手前で徐々に速度を落としてゆく。「ん?どうしたんだろう??」と思いながら追走していたら、トンネル手前に警官が折り畳み椅子に座っているのが見えた。「あっ、ネズミ捕り!」
トンネル手前に陸橋がかかっている為、トンネルの入り口は陸橋を通り過ぎないと見えない。そこを狙ってネズミ捕りしているようだ。トンネルを抜けたら、左側に警官が突っ立ってて来る車を見ていたら、ネズミ捕りに引っかかった車はこの警官が引き込むんだろう。クワバラクワバラ。ネズミ捕りを無事通過して進む。
交通量は相変わらず少なく、信号も少ないので順調に進...「ん?何で急に速度落としたの??」
前方を走る先ほどのセダンが再び速度を少し落とした。「え?まさか...」と思ったら、やっぱりネズミ捕りだった。場所は国道361との交差点から少し北上した所。国道が緩くカーブしていてドライバーから見辛い位置に警官が座っていた。いやぁ、危なかった。クワバラクワバラ。
更に進んで国道361へと右折する。少し進むと、対面通行の信号で待たされる。
1分ほど待って無事通過。通り抜ける際にチラッと見たら、路面は崩落した土砂で埋まったままで復旧には相当な時間がかかりそうだった。
長いトンネルを抜けて下っていくと伊那市街に入る。交通量は少ないし、信号も多くないので走り易い。県道88・県道87・国道153・県道19と進んで、9時半過ぎに無事ロッソコルサに到着。ここまでの走行距離は174.3km。
K社長に症状を具体的にお話しする。
この車を購入して以来、一度もエアコン関係は触っていない。K社長によると、国産でも6年程度経つと冷媒のガスが抜けたりする事もあるそう。漏れたとしたら漏れている個所を探る必要があるし、漏れではないのならエバポレーターなどあちこちにある機材を調べなければならないし、真空引きの作業も必要になったりするので、それなりに時間がかかるらしい。
修理に関する話が終わった後も雑談していたら、YさんやAさんなどのメンバーが三々五々と集まってきた。なんでも今日は昼食を食べに行く予定にしていたそうで「時間あるのなら一緒に来る?」と誘って戴いたので「勿論!」と即答。(笑)
12時半過ぎにワンボックスに全員乗り込み、K社長の運転で出発する。
伊北ICから中央道に入って岡谷JCTで長野道の塩尻北ICで降り、どこをどう走ったのかは分からないが、四川乃華・南松本店に到着。色々な料理を頼んで皆さんで分けて食べる。
拙者が選んだのはエビ入りのあんかけ焼きそば。
どれも十分美味しい。食べ終わったら、再びワンボックスに乗り込んでロッソコルサに戻った。
その後も皆さんで談笑していたが、17時半近くになったので代車エッセを借りて帰る事に。あえて遅い目の時間に帰るのは、中央道のリニューアル工事で渋滞が避けられない為、遅くに出発すれば渋滞が少なくなっているだろうという読みがあったから。
帰り際にK社長曰く「距離走っちゃってるから、100km/hとか出さないようにしてね」と。まーぁ、帰るだけだから急ぐ必要ないしね。
朝来た道を戻って伊那ICから中央道に入る。交通量はそこそこあるが走り難いほどではない。
遅いトラックがあると追越車線に入って抜くのだけれど、バックミラーで追越車線に車が走って来ない事を確認してから追い越しに取り掛かる。そうしないと、すぐ追いつかれてしまうからだ。加速もエンジンになるべく負荷をかけないよう緩やかにして進む。
追い越したら直ぐ走行車線に戻り、速度も法定速度前後に落として進む。そんな走り方だから、ネズミ捕りや覆面パトを気にする必要は全く無い。その代わり、時間がかかる。
飯田山本ICを過ぎてリニューアル工事の区間に入ると、一車線減るだけなのに何故か10km/h前後まで速度が落ち、少し進んでは止まって、というのを繰り返す。通常なら数分で抜ける区間を30分以上掛けて走る羽目に。抜けたら再び流れが良くなった。
恵那山トンネルを抜けたら数分雨に降られたけれど、降られたのはそこだけ。交通量はそこそこ多い状態だが、走り難い程ではなく、時々遅いトラックを抜く程度。
小牧東ICで降り、朝来た道を戻る。19時をだいぶ過ぎて、犬山市街走行中にどんどん暗くなってきた。
20時少し前に無事自宅に到着。オドメーターによる走行距離は159㎞。
夏にエアコンが使えないのは困るので修理する事にしたが、一寸時間がかかりそうだね...。
(続く)
バッグ修理完了 [雑感]
普段から手にカバンを持つのが好きではないのと、昔はバイクでの移動が殆どだった為、専らウエストバッグを愛用している。
大きさによって三つを使い分けているのだけれど、一番大きくて使用頻度が最も高いのが中古で仕入れたCoach(コーチ)のボディバッグである。
本来はボディバッグなのだけれど、ベルトを最短にしてウエストバッグとして使っている。
一般的なサイズのバイク用ウエストバッグだと、スマホを入れると三つ折り財布すら入らなくなってしまう。折畳み式携帯電話なら小さいから問題無かったが、スマホは画面の大型化で案外嵩張るのだ。
その点、Coachのボディバッグは大きめで、スマホ・三つ折り財布・コンパクトデジカメ・ティッシュ・エコバッグを入れてもまだ少し余裕がある。色々入るから、これを使う事がとても多い。
使い始めて3年ほどしたら、ベルトを支える革の内側が剥げて来た。
外側は問題無い。
内側だけ合成皮革を使ってあるらしい。
このままでも強度的には問題無いのだけれど、剥がれた小さなヒラヒラした物が服などに付いてしまう。「これは一寸不味いなぁ。直せるものなら直したい」と思っていた。
6月上旬、たまたまプレミアムアウトレット土岐へ出掛ける機会があったので、序でにCoachのお店で聞いてみたら「二ヶ月ほどお時間を頂ければ修理出来ます」と。ただ、費用が「4万7千円弱かかります。」
その金額なら新品が買える。けれど、拙者が欲しいと思うような同じようなサイズのレザーのウエストバッグは何故か無いのである。
使い勝手を考えると、荷室が一つだと中に入っている物がゴチャゴチャになって出し難い。荷室が二つに分かれているスタイリッシュな物だと厚みが足りなくて、財布やデジカメが入らない。
また、同じようなサイズの革製は無く、一回り大きな物になってしまう。これではウエストバッグとしては使い難い。
色々考えて、「じゃぁお願いします」と修理を依頼した。
一ヶ月半経ったら「修理が完了しましたのでご自宅宛てに発送しました」というEメールが届き、翌日箱が届いた。
出して見たら、丁寧に梱包されていた。
取り出して確認すると、一枚革できちんと修理されていた。
厚みがあってしっかりした革なので、これなら長持ちしそうだ。
修理費は痛かったけれど、これで再び使えるようになった。目出度しメデタシ、である。
大きさによって三つを使い分けているのだけれど、一番大きくて使用頻度が最も高いのが中古で仕入れたCoach(コーチ)のボディバッグである。
本来はボディバッグなのだけれど、ベルトを最短にしてウエストバッグとして使っている。
一般的なサイズのバイク用ウエストバッグだと、スマホを入れると三つ折り財布すら入らなくなってしまう。折畳み式携帯電話なら小さいから問題無かったが、スマホは画面の大型化で案外嵩張るのだ。
その点、Coachのボディバッグは大きめで、スマホ・三つ折り財布・コンパクトデジカメ・ティッシュ・エコバッグを入れてもまだ少し余裕がある。色々入るから、これを使う事がとても多い。
使い始めて3年ほどしたら、ベルトを支える革の内側が剥げて来た。
外側は問題無い。
内側だけ合成皮革を使ってあるらしい。
このままでも強度的には問題無いのだけれど、剥がれた小さなヒラヒラした物が服などに付いてしまう。「これは一寸不味いなぁ。直せるものなら直したい」と思っていた。
6月上旬、たまたまプレミアムアウトレット土岐へ出掛ける機会があったので、序でにCoachのお店で聞いてみたら「二ヶ月ほどお時間を頂ければ修理出来ます」と。ただ、費用が「4万7千円弱かかります。」
その金額なら新品が買える。けれど、拙者が欲しいと思うような同じようなサイズのレザーのウエストバッグは何故か無いのである。
使い勝手を考えると、荷室が一つだと中に入っている物がゴチャゴチャになって出し難い。荷室が二つに分かれているスタイリッシュな物だと厚みが足りなくて、財布やデジカメが入らない。
また、同じようなサイズの革製は無く、一回り大きな物になってしまう。これではウエストバッグとしては使い難い。
色々考えて、「じゃぁお願いします」と修理を依頼した。
一ヶ月半経ったら「修理が完了しましたのでご自宅宛てに発送しました」というEメールが届き、翌日箱が届いた。
出して見たら、丁寧に梱包されていた。
取り出して確認すると、一枚革できちんと修理されていた。
厚みがあってしっかりした革なので、これなら長持ちしそうだ。
修理費は痛かったけれど、これで再び使えるようになった。目出度しメデタシ、である。
Rolandの音源モジュールXV-5080のメンテナンス(その1:下調べ) [音楽]
子供からローランドのPCM音源モジュールXV-5080のメンテナンスを頼まれた。
2000年頃に発売された製品でシーケンサーは入っていないが、最大発声数128・マルチティンバー最大32パートという仕様は、当時としては飛び抜けた存在だったようだ。
問題は、Valueツマミの動作がおかしいのと、出て来る音の高音域の抜けが少々悪いという2点。とりあえず、中身を確認する。
天板はネジ留めなので、ネジを外せば簡単に外れる。
画像左側の茶色い基板はスイッチング電源、右側はオプションのエクスパンションボードを載せる基板だ。2枚取り付けられているけれど、「BASS&DRUMS」と書かれているボード「SR-JV80」は製造元ローランドから使用中止依頼が出ている。使い続けるのなら、電解コンデンサ交換が必須、だね。
エクスパンション用の基板を外すと、その下にメイン基板がある。
回路図が無いので断言はできないが、電解コンデンサの並び方を見ると、左側7割がデジタル回路、残りの右側3割がアナログ回路のようだ。
特に、アナログ回路側の電解コンデンサにはオーディオ用高級ラインのELNA・Silmicが部分的に使われていて、音質に配慮した部品選定になっている。
念の為に、基板上の部品を確認する。まず、数多く使われているのがJRCのオペアンプ5532Dだ。
デジタル回路とアナログ回路の境に、見慣れないICが並んでいる。
調べたら、旭化成の24BitΔΣDAコンバーターAK4324VFだった。
デジタル回路の方にある大きなICはカスタムチップらしい。
Valueツマミは本体のほぼ中央にあり、独立した基板になっている。
外して見たら、ロータリーエンコーダーのようだ。
恐らく接点が劣化してまともに動かなくなっているのだろう。これは分解清掃すればOKな筈。
使われている電解コンデンサを調べたんで部品を発注すれば良いのだが、数は多くないので送料が高くついてしまう。
修理待ちの他の製品の部品と併せて発注すると良いのだけれど、そうなると修理待ちの製品も分解して調べなきゃならんのよねー...。(汗)
(続く)
2000年頃に発売された製品でシーケンサーは入っていないが、最大発声数128・マルチティンバー最大32パートという仕様は、当時としては飛び抜けた存在だったようだ。
問題は、Valueツマミの動作がおかしいのと、出て来る音の高音域の抜けが少々悪いという2点。とりあえず、中身を確認する。
天板はネジ留めなので、ネジを外せば簡単に外れる。
画像左側の茶色い基板はスイッチング電源、右側はオプションのエクスパンションボードを載せる基板だ。2枚取り付けられているけれど、「BASS&DRUMS」と書かれているボード「SR-JV80」は製造元ローランドから使用中止依頼が出ている。使い続けるのなら、電解コンデンサ交換が必須、だね。
エクスパンション用の基板を外すと、その下にメイン基板がある。
回路図が無いので断言はできないが、電解コンデンサの並び方を見ると、左側7割がデジタル回路、残りの右側3割がアナログ回路のようだ。
特に、アナログ回路側の電解コンデンサにはオーディオ用高級ラインのELNA・Silmicが部分的に使われていて、音質に配慮した部品選定になっている。
念の為に、基板上の部品を確認する。まず、数多く使われているのがJRCのオペアンプ5532Dだ。
デジタル回路とアナログ回路の境に、見慣れないICが並んでいる。
調べたら、旭化成の24BitΔΣDAコンバーターAK4324VFだった。
デジタル回路の方にある大きなICはカスタムチップらしい。
Valueツマミは本体のほぼ中央にあり、独立した基板になっている。
外して見たら、ロータリーエンコーダーのようだ。
恐らく接点が劣化してまともに動かなくなっているのだろう。これは分解清掃すればOKな筈。
使われている電解コンデンサを調べたんで部品を発注すれば良いのだが、数は多くないので送料が高くついてしまう。
修理待ちの他の製品の部品と併せて発注すると良いのだけれど、そうなると修理待ちの製品も分解して調べなきゃならんのよねー...。(汗)
(続く)
KORG M1Rの不具合(その2:完了) [音楽]
(前回からの続き)
M5216Lは市場在庫がまだあるみたいで、比較的簡単に入手できた。
必要なのは一つだけだが、ばら売りしている業者は価格がやや高いので、オークションで入手した。
早速M1Rを分解する。
分解と言っても、天板を外すだけ。交換するM5216Lが載っているのは、オーディオ出力に直接繋がっているこの基板一枚しかない。
ハンダを緩めて古い方を外し、新しい方をそのまま取り付ければOKである。
外した方(画像下)と入手した物(画像上)を比べると、入手した物の方が製造ロット番号が古い。
元通り組み立てて、早速子供に使って貰った。
すると「左右の音量差は無くなった」と。ところが、「出力ボリュームの動きがおかしくて、真ん中まで回すと音量が最大になるような感じ」と言う。
今回ボリュームポットは触っていないので、どうしてそのような動作になったのかは不明。でも、子供曰く「卓(ミキサー兼レコーダー)の方で音量を調節すれば良いから問題無い」んだと。
一瞬焦ったけれど(笑)、とりあえず普通に(?)使えるようになった。目出度しメデタシ、である。
(完)
M5216Lは市場在庫がまだあるみたいで、比較的簡単に入手できた。
必要なのは一つだけだが、ばら売りしている業者は価格がやや高いので、オークションで入手した。
早速M1Rを分解する。
分解と言っても、天板を外すだけ。交換するM5216Lが載っているのは、オーディオ出力に直接繋がっているこの基板一枚しかない。
ハンダを緩めて古い方を外し、新しい方をそのまま取り付ければOKである。
外した方(画像下)と入手した物(画像上)を比べると、入手した物の方が製造ロット番号が古い。
元通り組み立てて、早速子供に使って貰った。
すると「左右の音量差は無くなった」と。ところが、「出力ボリュームの動きがおかしくて、真ん中まで回すと音量が最大になるような感じ」と言う。
今回ボリュームポットは触っていないので、どうしてそのような動作になったのかは不明。でも、子供曰く「卓(ミキサー兼レコーダー)の方で音量を調節すれば良いから問題無い」んだと。
一瞬焦ったけれど(笑)、とりあえず普通に(?)使えるようになった。目出度しメデタシ、である。
(完)
悲報 [雑感]
コロナウィルスが5月8日に第五類へ移行したけれど、だからといってコロナウィルスが撲滅された訳では無いし、罹患しても軽傷で済むという保証も無い。しかも、罹患した1割が後遺症に苦しんでいるというから、かからないに越した事は無い。拙者は老齢の母を抱えているから、万が一拙者が罹患して母にうつしてしまったらそれこそ取り返しのつかない事態に成り兼ねない。
だから、NEC退職者懇談会(以下、懇談会)は2017年9月の開催以降ずーっとを見送っていた。
前回開催の数か月後、一度オンラインでの開催を提案した事があったのだけれど、当時は今ほどにはソフトやネットも含めて環境が整っておらず、結局立ち消えとなってしまった。
一方、コロナウィルスで長期に亘る自粛期間のお陰で、現在ではオンライン・ミーティングが気軽にできる環境が整ってきている。カメラ付きのノートパソコンか、或いは一寸したWEBカメラを付けたデスクトップパソコンがあれば、誰でもオンラインで雑談できる環境が整ってきているのである。
そんな事もあって、懇談会のメンバーに改めてメールで連絡を入れた。
数日後、メンバーから「M君だけメールがエラーになる」と連絡が入った。「へ?こっちはエラーにならんかったけれど??」ところが、よくよく調べてみたらエラーを知らせるメールが自動的にメールソフトのゴミ箱に入っていた。だから気が付かなかったのだ。
エラーの具体的な内容は「smtp; 550 Invalid recipient」、一言で言えば「そんな受信者居らへんでぇ」と。M君の携帯電話に電話すると「その番号は現在使われておりません」という自動アナウンスが流れる。自宅の固定電話の電話番号は、普段使わないのでどこにも残っていない。だから、連絡手段が無い。
かなり慌ててgoogle mapで彼の自宅を見た。
一応建物は存在するけれど、一階も二階もシャッターがピッタリと閉じられていて、どう見ても人が住んでいるようには見えない。「あれぇ?どっかへ引っ越したんかなー??...でも、引っ越したんなら連絡をくれると思うんだけど???」この時点で何とも言えず嫌な予感が頭を過ぎった。「まさかとは思うが...。」
二日後、「あ!そういえば、バックアップのUSBメモリに電話帳があった筈」と思い出し、USBメモリを探し出してPCで見る。すると、自宅の電話番号が入っていた。「あぁ、良かったー。これで連絡が付くわ。」
早速電話したら、留守番電話のアナウンスが流れる。12日、「メールが届かないので、連絡下さい」とメッセージを入れておいた。
12日20時ピッタリに、拙者の携帯電話が鳴る。「(。´・ω・)ん?こんな時間に誰だろう?」と思いながら電話に出た。電話の主はM君の妹さん。
曰く「昨年12月心臓発作による突然死で亡くなりました。」続けて「(直近に)メールや電話のやり取りがあった方々には連絡したのですが、それ以外の方々には連絡を入れる事をしておりませんでした。誠に申し訳ありません」と。因みに、M君の親父さんも、定年目前で勤務中に心臓発作で倒れ、そのまま亡くなっている。
「嗚呼...。(絶句)」これで、謎が解けた。
拙者は普段あまり夢を見る事が無く、見たとしても荒唐無稽な内容か、トイレ探しで大騒ぎしているなんてものが殆ど。
どんな夢にしても、知っている人物が登場する事はまず無い。いつも見ず知らずの人ばかりで、日本人以外の人種が登場する事も多いけれど、何故か必ず日本語で話している。ちなみに、トイレ探しの夢は、その後必ず目が覚めてトイレに行ってスッキリ!で御終いになる。
ところが、昨年12月に見た夢では珍しくM君が登場したのだ。いつも会う時の様に、ニコニコした顔が脳裏に焼き付いている。今となっては夢の内容は覚えていないのだけれど、朝起きた時に「どうしてM君が夢に出て来たんだろう?不思議だなぁ...。」以来ずーっと疑問に感じていたのだ。
今から思えば、お別れの為にわざわざ会いに来てくれたのだと思う。それに気が付かなかったのが、今になっては「後悔」なんて言葉だけでは到底表現し切れない程に激しく悔やまれる。どれだけ悔やんでも、悔やんでも、悔み切れない。
M君はNECに入社した時からの友人で、以来付き合いは35年になる。仕事上では一度も一緒になった事はないけれど、同じ課内だった時期も5年ほどあり、仕事上でもプライベートでも最も近い距離で、何でも話し合える親友の一人。イギリス英語でいう「One of my friend」だった。
だから、妹さんから「亡くなりました」と言われても、頭では理解している積りでも実感が湧かず、「あっ...そうでしたか。」という事務的な対応になってしまった。
ところが、丸一日過ぎた頃からじわじわと身に染みて彼の死を感じるようになってきた。何かに集中していれば良いのだけれど、ふと手が停まったりすると彼のいつもの笑顔が浮かんできて涙ぐんでしまう。「いつまでも悲しんでいたら、彼はきっと嬉しくないだろう」とは思うのだが、どうしても涙が止まらない。
この悲しみから這い上がるまでにはまだまだ時間が掛かりそう...せめて、彼が生きられなかった分を拙者達が取り戻してやろうと思う。
だから、NEC退職者懇談会(以下、懇談会)は2017年9月の開催以降ずーっとを見送っていた。
前回開催の数か月後、一度オンラインでの開催を提案した事があったのだけれど、当時は今ほどにはソフトやネットも含めて環境が整っておらず、結局立ち消えとなってしまった。
一方、コロナウィルスで長期に亘る自粛期間のお陰で、現在ではオンライン・ミーティングが気軽にできる環境が整ってきている。カメラ付きのノートパソコンか、或いは一寸したWEBカメラを付けたデスクトップパソコンがあれば、誰でもオンラインで雑談できる環境が整ってきているのである。
そんな事もあって、懇談会のメンバーに改めてメールで連絡を入れた。
数日後、メンバーから「M君だけメールがエラーになる」と連絡が入った。「へ?こっちはエラーにならんかったけれど??」ところが、よくよく調べてみたらエラーを知らせるメールが自動的にメールソフトのゴミ箱に入っていた。だから気が付かなかったのだ。
エラーの具体的な内容は「smtp; 550 Invalid recipient」、一言で言えば「そんな受信者居らへんでぇ」と。M君の携帯電話に電話すると「その番号は現在使われておりません」という自動アナウンスが流れる。自宅の固定電話の電話番号は、普段使わないのでどこにも残っていない。だから、連絡手段が無い。
かなり慌ててgoogle mapで彼の自宅を見た。
一応建物は存在するけれど、一階も二階もシャッターがピッタリと閉じられていて、どう見ても人が住んでいるようには見えない。「あれぇ?どっかへ引っ越したんかなー??...でも、引っ越したんなら連絡をくれると思うんだけど???」この時点で何とも言えず嫌な予感が頭を過ぎった。「まさかとは思うが...。」
二日後、「あ!そういえば、バックアップのUSBメモリに電話帳があった筈」と思い出し、USBメモリを探し出してPCで見る。すると、自宅の電話番号が入っていた。「あぁ、良かったー。これで連絡が付くわ。」
早速電話したら、留守番電話のアナウンスが流れる。12日、「メールが届かないので、連絡下さい」とメッセージを入れておいた。
12日20時ピッタリに、拙者の携帯電話が鳴る。「(。´・ω・)ん?こんな時間に誰だろう?」と思いながら電話に出た。電話の主はM君の妹さん。
曰く「昨年12月心臓発作による突然死で亡くなりました。」続けて「(直近に)メールや電話のやり取りがあった方々には連絡したのですが、それ以外の方々には連絡を入れる事をしておりませんでした。誠に申し訳ありません」と。因みに、M君の親父さんも、定年目前で勤務中に心臓発作で倒れ、そのまま亡くなっている。
「嗚呼...。(絶句)」これで、謎が解けた。
拙者は普段あまり夢を見る事が無く、見たとしても荒唐無稽な内容か、トイレ探しで大騒ぎしているなんてものが殆ど。
どんな夢にしても、知っている人物が登場する事はまず無い。いつも見ず知らずの人ばかりで、日本人以外の人種が登場する事も多いけれど、何故か必ず日本語で話している。ちなみに、トイレ探しの夢は、その後必ず目が覚めてトイレに行ってスッキリ!で御終いになる。
ところが、昨年12月に見た夢では珍しくM君が登場したのだ。いつも会う時の様に、ニコニコした顔が脳裏に焼き付いている。今となっては夢の内容は覚えていないのだけれど、朝起きた時に「どうしてM君が夢に出て来たんだろう?不思議だなぁ...。」以来ずーっと疑問に感じていたのだ。
今から思えば、お別れの為にわざわざ会いに来てくれたのだと思う。それに気が付かなかったのが、今になっては「後悔」なんて言葉だけでは到底表現し切れない程に激しく悔やまれる。どれだけ悔やんでも、悔やんでも、悔み切れない。
M君はNECに入社した時からの友人で、以来付き合いは35年になる。仕事上では一度も一緒になった事はないけれど、同じ課内だった時期も5年ほどあり、仕事上でもプライベートでも最も近い距離で、何でも話し合える親友の一人。イギリス英語でいう「One of my friend」だった。
だから、妹さんから「亡くなりました」と言われても、頭では理解している積りでも実感が湧かず、「あっ...そうでしたか。」という事務的な対応になってしまった。
ところが、丸一日過ぎた頃からじわじわと身に染みて彼の死を感じるようになってきた。何かに集中していれば良いのだけれど、ふと手が停まったりすると彼のいつもの笑顔が浮かんできて涙ぐんでしまう。「いつまでも悲しんでいたら、彼はきっと嬉しくないだろう」とは思うのだが、どうしても涙が止まらない。
この悲しみから這い上がるまでにはまだまだ時間が掛かりそう...せめて、彼が生きられなかった分を拙者達が取り戻してやろうと思う。
散歩とバイク・ツーリングと中判カメラと [カメラ]
前回の記事で書いたように、お散歩用&ツーリング用中判カメラを一寸増やしてしまった。(滝汗)自身の忘備録も兼ねて、その辺の事情をまとめておこうと思う。
以前は大量の機材に囲まれていたのだけれど、あの記事やこの記事で書いたように、本当に思い切ってカメラ機材の殆どを整理した。
残した機材は「これが無いと撮影に困る」という物ばかり。具体的には、撮影会用のハッセルブラッドVシステム一式、お散歩&ツーリング用のローライコード3・ローライ35クラシック・コンタックスT2の4セットである。中判と35mmが2台ずつなのは、モノクロとカラーを一度に使えるようにする為である。
これで自分なりに整理が付いた積りだったけれど、やっぱり何処かで腑に落ちてないというか、我慢していた部分があったよーで(汗)、ここ数ヶ月で中判フィルムカメラが4台も増えてしまった。何だか禁断症状が一気に出ちゃったような感じ。(滝汗)
Plaubel makina67、Mamiya6+150mm+50mm、Fujica GS645SProfessional、同じくFuji GA645Proffessionalの4台である。
きっかけは「お散歩用兼ツーリング用にハッセルブラッドじゃ大きくて嵩張るし、ローライコード3だと広角撮影はできないしなー。それに66判だと12枚しか撮影出来ないし」なんて思いながら中古カメラのサイトを覗いていた時「645判なら15枚撮影できるんだよなー...レンズ交換出来るなら広角も使えるし」と考え始めてしまった事。お陰で雪崩を打ったかのように、次から次へと機材を増やしてしまった。(溜息)
makina67は以前使っていた時の好感触が忘れられず、たまたま安価に出ていたので思わず手を出してしまった。安かっただけあって、新品時から一度も整備点検を受けた事が無いような状態だった。一応撮影できるけれど一寸不安だったので、費用が嵩んだけれどカメラ店にオーバーホールをお願いした。それでも、状態の良いmakina67を買うよりはかなり安く済んだ。
流通量の多いGS645でなくてGS645Sを選んだのは、レンズが準広角の60mm(35mm換算で37mm)だから。GS645は75mm(35mm換算で47mm)の標準で、これ一つだと時々広角レンズが欲しくなってしまうのだ。その点、構図決めでは歩き回る羽目になるのだけれど、60mmなら何とかこれ一つで撮影出来る事が多い。
同様の理由でGA645も選んでいる。GA645ZやGA645Ziはズームレンズで便利だけれど、標準域90mm側の解放F値が6.9と暗い。
# 可動部分が多いと故障率も上がるしね。
それに、広角側が55mmで60mmとあまり変わらないのも食指が動かない一因だ。
実用上気にならないのと、費用的に苦しいので、GS645Sを調整に出すのは当面見送る積りだ。
Mamiya6はレンズ交換出来るレンジファインダー機で、広角50mm・標準75mm・準望遠150mmの3種類のレンズがある。どのレンズも定評のあるものばかりだが、75mmは価格が高騰している為、あえて手を出していない。
このカメラはプロに酷使されていたようで、安かった代わりに結構ガタガタという感じだった。だから、カメラ店にお願いしてあちこち調整して貰った。修理費用がそれなりに必要だったけれど、それでも調整済みの物を購入するよりは安上がりだ。
ちなみに、見た目は同じだけど頭に「New」が付く機種の方が高く売られている。
テスト撮影が終わっているのはMamiya6のみで、GA645はまだテスト撮影中。makina67とGS645Sのテスト撮影はこれからだ。時間がなかなか取れないので、テスト撮影が何時になったら完了するのかは一寸分からない。
しかもタイミングの悪い事に、ここにきて富士フィルムがフィルム価格を大幅に引き上げてしまった。現像費用も高騰していて、66判一カットでフィルム代と現像代を合わせると500円近くのコストが掛かってしまう。二昔前の大判サイズのコストに肉薄している。こんな状態では、迂闊に撮影出来ない。
どれも過去使っていた物ばかりなので、使い方に困る事は無い。けれど、実際の使い勝手となると、以前とは使う場面が変わっているので、以前と同じとは限らない。
購入前に一応頭の中で「こういう場面で撮影すると、この機種だとこんな感じで、あの機種だとこんな風で...」とシミュレーションしていたのだけれど、Mamiya6をテスト撮影した時に「ムムムっ、想定とだいぶ違うぞ」と。
具体的に何が違うのかを言葉で説明するのは難しいんだけれど...例えば構図と露出を決めてシャッターを切るという操作の流れの中で、肉眼で構図を決めてカメラを構えてファインダーを覗いた時の感触、ブレないように注意しながらシャッターボタンを押す時のカメラを保持する手や腕の力の入り具合といった、実際に撮影した時に感じる部分が頭の中で考えていたのとずれていたりする事が結構多いのである。
三脚を使うのであればどの機種でもほぼ違いは無いのだけれど、手持ちで撮影となるとカメラの重心の位置やシャッターボタンの位置などが重要になって来る。
一度にシャッターを切るのは一台だけだし、他にもローライコード3があるので、幾ら何でも4台は必要ないと自分でも思う。
使っていくうちに、どれか一台に限られてくる筈だが、それまでどれ位の時間が掛かるのか、フィルム代が一体いくら必要なのか...なんて考えると、一寸(いや、かなり)頭が痛い。
撮影コストを考えると645判が良く、67判は分が悪い。けれど、コストだけで撮影している訳ではないし、撮影フォーマット(645判・66判・67判)によっても変わって来る。
それに、バイクツーリングで使うとなると、ある程度のサイズに収まってくれないと運び難いという問題も出て来る。体積と重さだけを考えるとGA645(画像右)のが一番小さい。Mamiya6(画像左)はフードを外せばほぼ同じサイズだけど、400gほど重い。
makina67(画像左)も畳んだ状態では横幅は大きいが一番厚みが少ないので、バッグに放り込むならこちらの方が都合が良さそうだ。
GS645S(画像左)とGA645(画像右)はほぼ同じサイズ。
いずれは1台に絞られる事になるだろうと考えてはいるけれど、その答えが出るまでにはまだまだ時間が掛かりそうだ。
以前は大量の機材に囲まれていたのだけれど、あの記事やこの記事で書いたように、本当に思い切ってカメラ機材の殆どを整理した。
残した機材は「これが無いと撮影に困る」という物ばかり。具体的には、撮影会用のハッセルブラッドVシステム一式、お散歩&ツーリング用のローライコード3・ローライ35クラシック・コンタックスT2の4セットである。中判と35mmが2台ずつなのは、モノクロとカラーを一度に使えるようにする為である。
これで自分なりに整理が付いた積りだったけれど、やっぱり何処かで腑に落ちてないというか、我慢していた部分があったよーで(汗)、ここ数ヶ月で中判フィルムカメラが4台も増えてしまった。何だか禁断症状が一気に出ちゃったような感じ。(滝汗)
Plaubel makina67、Mamiya6+150mm+50mm、Fujica GS645SProfessional、同じくFuji GA645Proffessionalの4台である。
きっかけは「お散歩用兼ツーリング用にハッセルブラッドじゃ大きくて嵩張るし、ローライコード3だと広角撮影はできないしなー。それに66判だと12枚しか撮影出来ないし」なんて思いながら中古カメラのサイトを覗いていた時「645判なら15枚撮影できるんだよなー...レンズ交換出来るなら広角も使えるし」と考え始めてしまった事。お陰で雪崩を打ったかのように、次から次へと機材を増やしてしまった。(溜息)
makina67は以前使っていた時の好感触が忘れられず、たまたま安価に出ていたので思わず手を出してしまった。安かっただけあって、新品時から一度も整備点検を受けた事が無いような状態だった。一応撮影できるけれど一寸不安だったので、費用が嵩んだけれどカメラ店にオーバーホールをお願いした。それでも、状態の良いmakina67を買うよりはかなり安く済んだ。
流通量の多いGS645でなくてGS645Sを選んだのは、レンズが準広角の60mm(35mm換算で37mm)だから。GS645は75mm(35mm換算で47mm)の標準で、これ一つだと時々広角レンズが欲しくなってしまうのだ。その点、構図決めでは歩き回る羽目になるのだけれど、60mmなら何とかこれ一つで撮影出来る事が多い。
同様の理由でGA645も選んでいる。GA645ZやGA645Ziはズームレンズで便利だけれど、標準域90mm側の解放F値が6.9と暗い。
# 可動部分が多いと故障率も上がるしね。
それに、広角側が55mmで60mmとあまり変わらないのも食指が動かない一因だ。
実用上気にならないのと、費用的に苦しいので、GS645Sを調整に出すのは当面見送る積りだ。
Mamiya6はレンズ交換出来るレンジファインダー機で、広角50mm・標準75mm・準望遠150mmの3種類のレンズがある。どのレンズも定評のあるものばかりだが、75mmは価格が高騰している為、あえて手を出していない。
このカメラはプロに酷使されていたようで、安かった代わりに結構ガタガタという感じだった。だから、カメラ店にお願いしてあちこち調整して貰った。修理費用がそれなりに必要だったけれど、それでも調整済みの物を購入するよりは安上がりだ。
ちなみに、見た目は同じだけど頭に「New」が付く機種の方が高く売られている。
テスト撮影が終わっているのはMamiya6のみで、GA645はまだテスト撮影中。makina67とGS645Sのテスト撮影はこれからだ。時間がなかなか取れないので、テスト撮影が何時になったら完了するのかは一寸分からない。
しかもタイミングの悪い事に、ここにきて富士フィルムがフィルム価格を大幅に引き上げてしまった。現像費用も高騰していて、66判一カットでフィルム代と現像代を合わせると500円近くのコストが掛かってしまう。二昔前の大判サイズのコストに肉薄している。こんな状態では、迂闊に撮影出来ない。
どれも過去使っていた物ばかりなので、使い方に困る事は無い。けれど、実際の使い勝手となると、以前とは使う場面が変わっているので、以前と同じとは限らない。
購入前に一応頭の中で「こういう場面で撮影すると、この機種だとこんな感じで、あの機種だとこんな風で...」とシミュレーションしていたのだけれど、Mamiya6をテスト撮影した時に「ムムムっ、想定とだいぶ違うぞ」と。
具体的に何が違うのかを言葉で説明するのは難しいんだけれど...例えば構図と露出を決めてシャッターを切るという操作の流れの中で、肉眼で構図を決めてカメラを構えてファインダーを覗いた時の感触、ブレないように注意しながらシャッターボタンを押す時のカメラを保持する手や腕の力の入り具合といった、実際に撮影した時に感じる部分が頭の中で考えていたのとずれていたりする事が結構多いのである。
三脚を使うのであればどの機種でもほぼ違いは無いのだけれど、手持ちで撮影となるとカメラの重心の位置やシャッターボタンの位置などが重要になって来る。
一度にシャッターを切るのは一台だけだし、他にもローライコード3があるので、幾ら何でも4台は必要ないと自分でも思う。
使っていくうちに、どれか一台に限られてくる筈だが、それまでどれ位の時間が掛かるのか、フィルム代が一体いくら必要なのか...なんて考えると、一寸(いや、かなり)頭が痛い。
撮影コストを考えると645判が良く、67判は分が悪い。けれど、コストだけで撮影している訳ではないし、撮影フォーマット(645判・66判・67判)によっても変わって来る。
それに、バイクツーリングで使うとなると、ある程度のサイズに収まってくれないと運び難いという問題も出て来る。体積と重さだけを考えるとGA645(画像右)のが一番小さい。Mamiya6(画像左)はフードを外せばほぼ同じサイズだけど、400gほど重い。
makina67(画像左)も畳んだ状態では横幅は大きいが一番厚みが少ないので、バッグに放り込むならこちらの方が都合が良さそうだ。
GS645S(画像左)とGA645(画像右)はほぼ同じサイズ。
いずれは1台に絞られる事になるだろうと考えてはいるけれど、その答えが出るまでにはまだまだ時間が掛かりそうだ。
案内葉書 [カメラ]
数日前、案内葉書が届いた。
毎年定期的に中古カメラフェアを開催していて、毎回案内が来る。「あれ?そういえば前にも書いたような?」と思ったら、2020年8月と2022年8月に記事で投稿していた。うーん、「歴史は繰り返す」のかぁ、それともぉ拙者が「単細胞」なだけなのかぁぁぁ...???
この手のフェアには、もう10年ほど足を運んでいない。その理由は、防湿庫を小さな物に代えた為収納できる機材に限りがあるから。
# 因みに、収納庫の大きさによる制限って想像以上に効果的ですよん。
他にも、フィルム価格高騰で迂闊に撮影出来なくなって来たという事もある。
フィルムカメラ限定という訳では無いので、デジタルカメラも多数出ているだろう。だから「一寸覗いてみても良いかな?」と思わないでもない。
しかし、田舎住まい故に名古屋中心部へ行く費用が馬鹿にならないし、それよりも何よりも見たら欲しくなってまたフィルムカメラ機材を増やしてしまいかねない。「君子危うきに近寄らず」である。
# 拙者が「君子」かどーかは喧々諤々の極めて激しい議論が起きるでしょーが。(^^;)
...と言いつつも、実は機材を一寸増やしちゃったりするんだな、これが。(滝汗)その辺の事情は改めて記事にまとめる事としよう。
毎年定期的に中古カメラフェアを開催していて、毎回案内が来る。「あれ?そういえば前にも書いたような?」と思ったら、2020年8月と2022年8月に記事で投稿していた。うーん、「歴史は繰り返す」のかぁ、それともぉ拙者が「単細胞」なだけなのかぁぁぁ...???
この手のフェアには、もう10年ほど足を運んでいない。その理由は、防湿庫を小さな物に代えた為収納できる機材に限りがあるから。
# 因みに、収納庫の大きさによる制限って想像以上に効果的ですよん。
他にも、フィルム価格高騰で迂闊に撮影出来なくなって来たという事もある。
フィルムカメラ限定という訳では無いので、デジタルカメラも多数出ているだろう。だから「一寸覗いてみても良いかな?」と思わないでもない。
しかし、田舎住まい故に名古屋中心部へ行く費用が馬鹿にならないし、それよりも何よりも見たら欲しくなってまたフィルムカメラ機材を増やしてしまいかねない。「君子危うきに近寄らず」である。
# 拙者が「君子」かどーかは喧々諤々の極めて激しい議論が起きるでしょーが。(^^;)
...と言いつつも、実は機材を一寸増やしちゃったりするんだな、これが。(滝汗)その辺の事情は改めて記事にまとめる事としよう。
Marshall DRP-1をオーバーホール(その1) [音楽]
作業する時間を確保できたので、放置してあったMarshallのソリッドステートプリアンプDRP-1をオーバーホールする。
オーバーホール前、念の為に音を出して見たら「ありゃ?なんだか動作が不安定だな???」
具体的には、音がやたらと小さかったりノイズが載ったりするのだけれど、状態が一定でないのが気になる。「まーぁ、オーバーホールすりゃ直る...とは思えんけど、何でやろ?(溜息)」
オーバーホール作業がいつもの通りで、分解して基板を取り出し、ボリュームポットは全て外して分解清掃、電解コンデンサも全て交換した。
ところが、基板の裏側にも電解コンデンサがあるのを見落としていた。
基板の設計変更をすると大変だから後付けにしたのだと思う。こちらも勿論交換した。
改めて基板を見ると、クリッパー回路と思われる赤いLED2個が並んでいる所が2箇所ある。
ネット上の回路図を見ると、スイッチを「BOOST」にすると両方のLEDが接続されるようになっている。細かく回路を見ていないので、具体的にどういう意図でこうなっているのかは追っていないが、歪ませる方向で使われているのは間違いないようだ。
外したツマミを見ると、何だか汚い。
前所有者がガムテープでツマミを固定していたらしい。接着成分が乾燥してカピカピになっていて指先では取れないので、精密ドライバーでほじって取る。
一寸面倒だったけれど、まぁまぁ綺麗になった。
後は元通り組み立てればOKである。小規模な基板なので、交換した電解コンデンサの数は大した事無かった。
改めて動作確認して見ると...やっぱし症状は変わらないじゃん。(滝汗)どこかに不具合を抱えているようだ。
ネット上の回路図をプリンタで印刷し、再度ばらして基板上の配線と部品を追う。
ところが、回路図と実際の基板とではあちこちに違いがある。
具体的には、基板上のシルク印刷では部品番号が割り振られているけれど実際には部品が無いとか、部品の値は同じだし回路上の位置も同じなんだけど部品番号が違うとか、部品番号は同じだけど使われている部品が違うとか、あちこちに違いがあるのだ。
製造ロットによって違いが出ているんだろうけれど、これでは回路図としては使い辛い。こりゃぁ回路図を自分で書き直さないといけないかもなぁ。(溜息)
(続く)
オーバーホール前、念の為に音を出して見たら「ありゃ?なんだか動作が不安定だな???」
具体的には、音がやたらと小さかったりノイズが載ったりするのだけれど、状態が一定でないのが気になる。「まーぁ、オーバーホールすりゃ直る...とは思えんけど、何でやろ?(溜息)」
オーバーホール作業がいつもの通りで、分解して基板を取り出し、ボリュームポットは全て外して分解清掃、電解コンデンサも全て交換した。
ところが、基板の裏側にも電解コンデンサがあるのを見落としていた。
基板の設計変更をすると大変だから後付けにしたのだと思う。こちらも勿論交換した。
改めて基板を見ると、クリッパー回路と思われる赤いLED2個が並んでいる所が2箇所ある。
ネット上の回路図を見ると、スイッチを「BOOST」にすると両方のLEDが接続されるようになっている。細かく回路を見ていないので、具体的にどういう意図でこうなっているのかは追っていないが、歪ませる方向で使われているのは間違いないようだ。
外したツマミを見ると、何だか汚い。
前所有者がガムテープでツマミを固定していたらしい。接着成分が乾燥してカピカピになっていて指先では取れないので、精密ドライバーでほじって取る。
一寸面倒だったけれど、まぁまぁ綺麗になった。
後は元通り組み立てればOKである。小規模な基板なので、交換した電解コンデンサの数は大した事無かった。
改めて動作確認して見ると...やっぱし症状は変わらないじゃん。(滝汗)どこかに不具合を抱えているようだ。
ネット上の回路図をプリンタで印刷し、再度ばらして基板上の配線と部品を追う。
ところが、回路図と実際の基板とではあちこちに違いがある。
具体的には、基板上のシルク印刷では部品番号が割り振られているけれど実際には部品が無いとか、部品の値は同じだし回路上の位置も同じなんだけど部品番号が違うとか、部品番号は同じだけど使われている部品が違うとか、あちこちに違いがあるのだ。
製造ロットによって違いが出ているんだろうけれど、これでは回路図としては使い辛い。こりゃぁ回路図を自分で書き直さないといけないかもなぁ。(溜息)
(続く)
ツーリングの筈が・・・ [フェラーリ]
1日、ロッソコルサ(伊那市)のツーリングで子供の911と共に参加した。
ツーリング案内では「フェラーリ・レーシング・デイズ」で富士スピードウェイに行く事になっていた。F1マシン実走がお目当てだったのだが、雨天などで路面の状態が悪いと走行しない。直前にならないと天候が読めない為、毎回前売り券は買わずに毎回当日券で入場している。
今回は活発な梅雨前線が日本列島に掛かるというのが数日前から分かっていた。「本当に富士スピードウェイへ行くんだろうか?」と思っていたら、2日前になって子供が「行先は能生に変更」と。でも、拙者の所には通知メールは来ていない。「へ?何で知った??」と聞いたら「SNSで連絡が来た」と。
「何でメール使わんの?」と思ったら...「(。´・ω・)ん?メール来た...何じゃこりゃ???(@@;)」メールの内容が滅茶苦茶。どうやらメールを乗っ取られてしまったらしい。「あぁ、そうか。だからSNSで知らせたんだ。」
天候が心配だけど、前日の金曜日になっても行先は能生のままで変更無し。
中央道は工事で大規模な車線規制をしている為、交通の流れが悪く成っている可能性もある。1時間程度の余裕を持たせて集合時間に間に合うように自宅を出るとなると、遅くとも朝5時過ぎには出発する方が良い。早起きが苦手な子供は「朝早いのはたまらん」と伊那市内のビジネスホテルに前泊する事になり、金曜午後に伊那市へと911で向かった。
1日4時半過ぎに起床、身支度して5時少し前に360モデナで出発する。弱い雨の中、県道183を進む。天気が悪い為か、交通量は非常に少ない。犬山市街も交通量は少なく、県道461・県道49と進んで小牧東ICから中央道に入る。
いつもと比べると、中央道も交通量は一寸少ない。大型トラックがやたらと目立つ。二ヶ所の工事区間では巡航速度が60km/h前後に落ちてしまうけれど、渋滞は無くスムーズに抜けられた。
時折雨脚が強くなるので、透水舗装でない区間に入る度にスロットルペダルを戻してハイドロプレーニング現象になるのを避ける。いつもよりも時間が掛かるけれど、時間的に余裕があるから気にしない。遅いトラックを抜かしつつ先へと進み、雨の降り具合を鑑みながら走る。
トイレに行きたくなって小黒川PAに立ち寄った。停まっている車の数は少なくて、大半がトラックだ。
スッキリしたら走り出す。
伊那ICで降り、県道87・国道153・県道19と走って、ロッソコルサには7時15分過ぎに無事到着。K社長がガレージのシャッターを開けているところだった。
三々五々と参加メンバーが集まって来るが、メール通知が使えないので変更になった事を知らない人も居るかも知れず、皆で手分けして連絡を入れる。
スマホで天気予報を見ると...え?新潟県全域に大雨警報??出発時間の8時にもう一度天気予報を見ると、今度は大雨洪水警報に変わっている。皆で話し合って「こりゃ、今日は無理だな。」じゃぁ、富士スピードウェイの方は...やっぱり天気は良くないらしい。「どっちも駄目じゃん」となり、ツーリングは中止。
じゃぁ伊那は...殆ど降らないらしい。少しずつ青空が見えるようになってきた。「じゃぁ、先週みたいにまたやります?」と皆さんが言い出すので「は?」と思ったら、先週たまたま集まった人達でバーベキューをしたんだそう。
諏訪IC近くに新鮮な魚を扱う店があるとかでそちらへ買い出しに行くグループ、伊那近辺で買い出しに行くグループ、残ってバーベキューの準備をするグループ、の三つに分かれて行動開始!拙者は準備グループで、アウトドア用机を組み立てたりいすを並べたり。炭に火を起こして買い出しグループの帰りを待つ。
11時過ぎに地元買い出しグループが帰って来た。諏訪買い出し組はまだ時間が掛かりそうなので、取りあえず貝から焼き始める事に。
焼いている間に、地元買い出しグループが近くのコンビニへ行ってノンアルコールのビールやらチューハイやらを全部買い占めて来た。
# 皆さん車で来てるからねぇ。
料理酒・醤油・味醂を混ぜてタレを作り、貝の口が開いたらタレを垂らして味付け。再び沸騰してきたら出来上がり。早速頂く。
うんまいっ!食べている最中に諏訪買い出しグループが到着。ここから一気に色々な物を焼き始める。
焼いたり食べたりで、撮影していない食材も多かったりする。(汗)
ヤマメは丸ごと食べられる。
ワイワイやりながら食べていたら14時半近くとなった。ここで、たい焼き(!?)を焼く。このお店のたい焼きは地元でも評判なんだそう。
買い出ししてから少し時間が経って皮が柔らかくなっていたのだけれど、少し焼いたら出来立てのようにパリッとした感じになって実に美味い。
一寸間をおいてからイカなどを焼く。
参加者の一人が一旦自宅へ戻ってバイクに乗り換えて来た。
ホンダの250cc単気筒GB250の最終型だ。平成中期までは頻繁に見かけたバイクの一つだったけれど、最近は一度も見た事が無い。マフラーやフロントマッドガードなどが社外品でカスタム化されているけれど、ノーマルの雰囲気を崩していない。何でも買ったばかりなんだそうな。
15時半になってお八つタイム。
その後も食材を焼き続ける。たまに雨がぱらつく事もあったけれど、降り続ける事は無い。
アイスのスティックが余っていたので、もう一本頂いた。お腹一杯で夕食は入りそうにないので、妻に「夕食は要らない」と電話しておいた。
17時を過ぎたので、片付け始める。ゴミを分別して机や椅子を片付け、焼き網を洗って作業完了。沢山あったノンアルコールは3本残っただけ。
その後も談笑していたが、17時半を過ぎたのでお暇して自宅に向けて走り出す。
来た道を戻って子供の911と連なって進む。伊那ICで中央道に入る。
走り始めは弱い雨だったが、南下するに連れて徐々に雨の勢いが強くなってゆく。911は4WDだから気にしなくても良いが、360はMRだからうっかり水に乗っかって横滑りすると直ぐ回転モードに入ってしまいかねないので、やや慎重に進む。
雨天だからか、交通量はいつもの土曜と比べるとかなり少な目だ。飯田ICを過ぎた辺りで非常に激しい雨になって前が白く霞んで「ゲッ!」と思ったけれど、数分で収まってホッとした。工事区間も渋滞する事無く通り抜け、小牧東ICで降りる。
朝来た道を戻り、自宅には20時少し前に無事到着。本日の走行距離は332.4km。
雨天でツーリングは中止でロッソコルサまで往復しただけになったけれど、久し振りのバーベキューは楽しかった。
新鮮な魚介類を求めて能生や静岡などへツーリングで出掛けていたけれど、「地元でこれだけ食べられるんだったら、わざわざ日本海側に行かなくてもいいじゃん」という声が多かった。確かに、蟹を除けば大抵の食材がお店周辺で手に入るので、わざわざ遠方へ出掛ける理由は無いのかも知れないナー。
ツーリング案内では「フェラーリ・レーシング・デイズ」で富士スピードウェイに行く事になっていた。F1マシン実走がお目当てだったのだが、雨天などで路面の状態が悪いと走行しない。直前にならないと天候が読めない為、毎回前売り券は買わずに毎回当日券で入場している。
今回は活発な梅雨前線が日本列島に掛かるというのが数日前から分かっていた。「本当に富士スピードウェイへ行くんだろうか?」と思っていたら、2日前になって子供が「行先は能生に変更」と。でも、拙者の所には通知メールは来ていない。「へ?何で知った??」と聞いたら「SNSで連絡が来た」と。
「何でメール使わんの?」と思ったら...「(。´・ω・)ん?メール来た...何じゃこりゃ???(@@;)」メールの内容が滅茶苦茶。どうやらメールを乗っ取られてしまったらしい。「あぁ、そうか。だからSNSで知らせたんだ。」
天候が心配だけど、前日の金曜日になっても行先は能生のままで変更無し。
中央道は工事で大規模な車線規制をしている為、交通の流れが悪く成っている可能性もある。1時間程度の余裕を持たせて集合時間に間に合うように自宅を出るとなると、遅くとも朝5時過ぎには出発する方が良い。早起きが苦手な子供は「朝早いのはたまらん」と伊那市内のビジネスホテルに前泊する事になり、金曜午後に伊那市へと911で向かった。
1日4時半過ぎに起床、身支度して5時少し前に360モデナで出発する。弱い雨の中、県道183を進む。天気が悪い為か、交通量は非常に少ない。犬山市街も交通量は少なく、県道461・県道49と進んで小牧東ICから中央道に入る。
いつもと比べると、中央道も交通量は一寸少ない。大型トラックがやたらと目立つ。二ヶ所の工事区間では巡航速度が60km/h前後に落ちてしまうけれど、渋滞は無くスムーズに抜けられた。
時折雨脚が強くなるので、透水舗装でない区間に入る度にスロットルペダルを戻してハイドロプレーニング現象になるのを避ける。いつもよりも時間が掛かるけれど、時間的に余裕があるから気にしない。遅いトラックを抜かしつつ先へと進み、雨の降り具合を鑑みながら走る。
トイレに行きたくなって小黒川PAに立ち寄った。停まっている車の数は少なくて、大半がトラックだ。
スッキリしたら走り出す。
伊那ICで降り、県道87・国道153・県道19と走って、ロッソコルサには7時15分過ぎに無事到着。K社長がガレージのシャッターを開けているところだった。
三々五々と参加メンバーが集まって来るが、メール通知が使えないので変更になった事を知らない人も居るかも知れず、皆で手分けして連絡を入れる。
スマホで天気予報を見ると...え?新潟県全域に大雨警報??出発時間の8時にもう一度天気予報を見ると、今度は大雨洪水警報に変わっている。皆で話し合って「こりゃ、今日は無理だな。」じゃぁ、富士スピードウェイの方は...やっぱり天気は良くないらしい。「どっちも駄目じゃん」となり、ツーリングは中止。
じゃぁ伊那は...殆ど降らないらしい。少しずつ青空が見えるようになってきた。「じゃぁ、先週みたいにまたやります?」と皆さんが言い出すので「は?」と思ったら、先週たまたま集まった人達でバーベキューをしたんだそう。
諏訪IC近くに新鮮な魚を扱う店があるとかでそちらへ買い出しに行くグループ、伊那近辺で買い出しに行くグループ、残ってバーベキューの準備をするグループ、の三つに分かれて行動開始!拙者は準備グループで、アウトドア用机を組み立てたりいすを並べたり。炭に火を起こして買い出しグループの帰りを待つ。
11時過ぎに地元買い出しグループが帰って来た。諏訪買い出し組はまだ時間が掛かりそうなので、取りあえず貝から焼き始める事に。
焼いている間に、地元買い出しグループが近くのコンビニへ行ってノンアルコールのビールやらチューハイやらを全部買い占めて来た。
# 皆さん車で来てるからねぇ。
料理酒・醤油・味醂を混ぜてタレを作り、貝の口が開いたらタレを垂らして味付け。再び沸騰してきたら出来上がり。早速頂く。
うんまいっ!食べている最中に諏訪買い出しグループが到着。ここから一気に色々な物を焼き始める。
焼いたり食べたりで、撮影していない食材も多かったりする。(汗)
ヤマメは丸ごと食べられる。
ワイワイやりながら食べていたら14時半近くとなった。ここで、たい焼き(!?)を焼く。このお店のたい焼きは地元でも評判なんだそう。
買い出ししてから少し時間が経って皮が柔らかくなっていたのだけれど、少し焼いたら出来立てのようにパリッとした感じになって実に美味い。
一寸間をおいてからイカなどを焼く。
参加者の一人が一旦自宅へ戻ってバイクに乗り換えて来た。
ホンダの250cc単気筒GB250の最終型だ。平成中期までは頻繁に見かけたバイクの一つだったけれど、最近は一度も見た事が無い。マフラーやフロントマッドガードなどが社外品でカスタム化されているけれど、ノーマルの雰囲気を崩していない。何でも買ったばかりなんだそうな。
15時半になってお八つタイム。
その後も食材を焼き続ける。たまに雨がぱらつく事もあったけれど、降り続ける事は無い。
アイスのスティックが余っていたので、もう一本頂いた。お腹一杯で夕食は入りそうにないので、妻に「夕食は要らない」と電話しておいた。
17時を過ぎたので、片付け始める。ゴミを分別して机や椅子を片付け、焼き網を洗って作業完了。沢山あったノンアルコールは3本残っただけ。
その後も談笑していたが、17時半を過ぎたのでお暇して自宅に向けて走り出す。
来た道を戻って子供の911と連なって進む。伊那ICで中央道に入る。
走り始めは弱い雨だったが、南下するに連れて徐々に雨の勢いが強くなってゆく。911は4WDだから気にしなくても良いが、360はMRだからうっかり水に乗っかって横滑りすると直ぐ回転モードに入ってしまいかねないので、やや慎重に進む。
雨天だからか、交通量はいつもの土曜と比べるとかなり少な目だ。飯田ICを過ぎた辺りで非常に激しい雨になって前が白く霞んで「ゲッ!」と思ったけれど、数分で収まってホッとした。工事区間も渋滞する事無く通り抜け、小牧東ICで降りる。
朝来た道を戻り、自宅には20時少し前に無事到着。本日の走行距離は332.4km。
雨天でツーリングは中止でロッソコルサまで往復しただけになったけれど、久し振りのバーベキューは楽しかった。
新鮮な魚介類を求めて能生や静岡などへツーリングで出掛けていたけれど、「地元でこれだけ食べられるんだったら、わざわざ日本海側に行かなくてもいいじゃん」という声が多かった。確かに、蟹を除けば大抵の食材がお店周辺で手に入るので、わざわざ遠方へ出掛ける理由は無いのかも知れないナー。